真こと夢ここち思寄(うみゆ)らんご沙汰生で果報(しでいがふ)ゆ肝に初心(はち)の一歩(ちゅふぃぃさ)」。琉球舞踊立方の人間国宝に認定されることが決まった志田房子さんは朗報を受けた際の心境を琉歌につづった。会見では「やっと門が開けた」と快挙を喜んだ。恩師も失った沖縄戦後の焼け野原でも踊り続けた半生を振り返り「舞踊は先人のおかげで立派に受け継がれてきた。私も一生懸命、次の世代に伝えていきたい」と思いを新たにした。
「本当なのか、と夢心地だった」。志田さんは6月、文化庁担当者から内示の連絡を受けた瞬間を振り返った。予想外のことで思わず聞き直した。これまでも、節目ごとに思いを琉歌に残してきたが、この時は「大変ありがたいことで初心の一歩を歩み出すという気持ちを詠んだ」という。
母親の薦めで3歳で踊りの世界に入った。名匠・玉城盛重氏の下に通ったが、盛重氏は沖縄戦で死亡。その後は盛重氏の流れをくむ真境名佳子、玉城盛義、島袋光裕の各氏や、女踊の名手・田島清郷氏らに師事し、技を磨いた。
芸歴は昨年で80年を迎えた。終戦直後、口三味線の伴奏でドラム缶の上で踊った際に聴衆から送られた拍手が原点だ。「つらい戦後だったが、舞踊が貧しさの中でも心を豊かにしてくれた」
舞踊文化の息吹を受け継いだ恩師らとは今も心の中で対話を重ねている。
「舞台に上がる度に先生がたと会話する。私の身体の中に先生のご指導がある。心臓や腎臓があるように舞踊の臓器ができてしまった。この臓器のためにも踊り続けたい」。そのまっすぐな思いを胸に、これからも舞台に立ち続ける。
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