金メダル喜友名、勝てなかった時期もあった…「努力の天才」の探究心


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子
男子形決勝 喜友名諒の演武=日本武道館

 師をして「努力の天才」と評させる。その空手の道は決して平たんではなかった。

 5歳で道着に袖を通した。沖縄東中2年で全国制覇を果たしたが、興南高3年の全国総体は3回戦で敗退。2010年、沖国大2年で初めて団体形でナショナルチーム入りを果たしたものの、団体形のメンバーとして世界大会に出場するまでに6年を要した。10年に初挑戦した全日本選手権は5位。翌年の全日本は準優勝だった。

 

 初めて世界を制したのは12年、大学4年のプレミアリーグトルコ大会だ。同年、全日本選手権を初制覇。だが13年のアジア選手権(ドバイ)は日本勢の優勝が続いた中で3位。「代表に選んでもらって自分だけ勝てなかった」。

 

 初挑戦した14年の世界選手権(ドイツ)は「負ければ次は絶対にない」という必死の境地だった。「これまでにない調子良い感覚」で優勝。快進撃が続き、18年2月に途絶えるまで96連勝した。その後はこれまで負けなしを続けている。

 

劉衛流の佐久本嗣男会長(左から2人目)の指揮の下、稽古に励む喜友名諒(左)=2020年12月、那覇市泊の佐久本空手アカデミー(喜瀨守昭撮影)

 天賦の才ではない。国内でも勝てなかった時期も経て身に付けた豊富な稽古量、それを自らに課す克己心のたまものである。

 

 敵を想定した稽古は常に緊迫感に満ちている。佐久本氏は「なぎ倒せ。本物の空手をしろ」などとげきを飛ばす。大げさに見せるような無駄な動きはない。二人一組で激しくたたき合う小手鍛えや、棒術や釵(さい)術など古流の空手にこだわってきた。「練習の通りに出せば結果がついてくる」(喜友名)。

 

 日頃からいちずに空手を探究してきた。形の動きでひらめきがあれば、どこであろうがその場で技を試さずにはいられない。貪欲に追求し続けるその姿について「稽古量は本物だ」と評価する古老の空手家も少なくない。

 

 全日本選手権9連覇など前人未到の地平を切り開いてきた。プレミアリーグ19勝がギネス世界記録に認定され、20年1月のプレミアリーグパリ大会では10点満点を引き出した。今年11月の世界選手権では師匠の佐久本氏も成し遂げられなかった4連覇が懸かっている。

 

 〝天然〟な一面も。五輪に向け、19年に地元沖縄市のミュージックタウンで開かれた応援イベントの終盤、司会から「東京のお土産は何ですか」と水を向けられた。何だろうというように少し考えると「東京ばな奈を買ってきます」。会場の笑いを誘った。

 

 好きなアーティストはMONGOL800やDragon Ash(ドラゴンアッシュ)。趣味は筋トレ。喜友名龍鳳館を構え、後進の育成にも力を注ぐ。家族は妻の絵理さん(30)と長男冴空(さすけ)くん(3つ)。(古川峻)

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