新しい首里城「さらに強く、進化形で」 高良倉吉氏インタビュー 首里城焼失2年


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首里城復元事業への思いを語る高良倉吉琉球大名誉教授=8日、那覇市の琉球新報社

 

 首里城が燃えた日から、31日で2年が経過する。関係者は「あの日」以来、再び首里城を建てるために議論、研究、検証を重ねてきた。焼失前の首里城は歴史的資料を一から集め、手探りの中で再建されたが、新しい首里城はその土台を利用しつつ、新たな知見も加えて生まれ変わる。今度の首里城は、焼失前の首里城のコピーではない。最新の防災機能を備えながら、琉球王朝時代の姿に、さらに近づく。

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 首里城復元の計画を立てるのは、国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」。その委員長を務めるのは、琉球王朝に詳しい歴史学者、高良倉吉氏(74)だ。高良氏は29年前の首里城の復元でも中心的な役割を担った。前回の復元テーマが「建築」だったのに対し、今回の復元は「防火・防災」をテーマに掲げる。新たに見つかった資料も生かし、進化した首里城の復元を目指す。

 1992年の復元当初、手元にあったのは昭和初期の資料だった。「琉球処分」(琉球併合)後の改変で建物内は本来の姿を失っていた上、国から予算を引き出すために「沖縄神社拝殿」として解体修理した時のものだ。「建物内の間仕切りは取り払われ、中はがらんどう。外面は合わせられても中が復元できない。我々が造るのは沖縄神社拝殿なのかと、ジレンマに陥った」という。しかし、諦めずに沖縄文化史に詳しい鎌倉芳太郎の資料や尚家文書を探し出し、中身を詰めた往事の首里城を造り上げた。

 2年前の焼失後、仏軍人が1877年に撮影したとされる首里城の写真が新たに見つかり、色めき立った。正殿2階に掲げられた画簾(がれん)(絵が描かれたすだれ)、御庭に敷かれた磚(せん)(タイル)、正殿北側の西之廊下。細部まで鮮明な姿を捉えていた。高良氏は「これまでの資料と新たな知見を比較して再検証する」と述べ、琉球王朝時代に迫った首里城の再建を誓う。

 防火・防災に万全を期すため、日本を代表する木造建築防災の専門家が技術検討委員会に加わった。さらに、那覇市消防局なども協力する。「消火活動に当たった消防の協力を得られたのはありがたかった。経験から浮かび上がる課題が見えてくる」と感謝する。

 新しい首里城は、焼失した首里城よりも強く、往事の姿に近づく。


 

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