>>「逃げて」窓が空から降る恐怖…運動場の児童証言、衝撃で体調崩す から続く
2017年12月13日に普天間第二小学校に米軍ヘリの窓が落下した時、数メートル離れた場所にいた6年生の男子児童(12)=当時2年生=は、事故翌日に学校を休んだ。そのまま週末を迎えたが、週明けの月曜日も早退した。その後も欠席や保健室での休憩、早退を繰り返した。本人は詳しく覚えていないが、母親(36)によると「行きたくない」「頭が痛い」などと話していたという。
怖さこそ口にしなかったものの、家でも母親のそばを離れなくなり、短時間でも留守番ができなくなった。担任教員と友人の支えで次第に落ち着いた。
学校では、しばらく運動場を使うことができなくなった。使用が再開されてからも、米軍機が運動場に近づく度に屋根の下に隠れなければならなかった。体育の授業もたびたび中断した。
窓落下の前、児童は休み時間に外でドッジボールやサッカーをして遊ぶのが好きだった。事故後はたびたび中断される上に怖さもあり「外で遊ぶのは嫌だな」と思うようになったという。
6年生になった今年、MV22オスプレイから民家の玄関先に水筒が落下する事故があった。児童は「今までもよく(部品などが)落ちているけど、水筒まで落としたのか。人に当たったらと考え、ヘリって怖いなと思った」。
母親も普天間飛行場の近くで生まれ育った。「ヘリが飛んでいるのが当たり前になって慣れていた」と語る。窓落下の6日前、娘が通う緑ヶ丘保育園に米軍ヘリの部品が落下した。相次いで自身の子に脅威が降りかかり「目が覚めた。住宅街の真ん中に基地があるのって、おかしいなって」と振り返った。
息子は普天間中に、娘は普天間第二小に進学する。基地と隣り合わせの生活はこれからも続く。
願いは基地のない環境だ。だが「なくすために(名護市)辺野古に移すのも反対だし、もし移設したとしても12年以上かかる。結局、何も変わらないのかもしれない」ともどかしさを抱えている。
(明真南斗)
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