【ちむどんどん第18話】ドルの変動相場制移行…沖縄に与えた影響は? 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】


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県民の通貨不安を報じる1971年8月22日の琉球新報

 ちむどんどん第18話では、ヒロイン・比嘉暢子(黒島結菜)の兄・賢秀(竜星涼)が、怪しげな男にドル相場の変動を利用した一獲千金の話を持ち掛けられ、のめりこんでいく一幕がありました。作中では、ドルの固定レートが変動相場制度に変わり、1ドル300円前後になったことが解説されています。当時世界と沖縄ではどのようなことがあったのでしょうか。

 米国時間の1971年8月15日、当時のニクソン米大統領が金とドルの交換停止を発表しました。「ニクソン・ショック」や「ドルショック」などと呼ばれるこの出来事は、1ドル=360円の固定相場が終わる契機となり、日本政府も1971年8月28日に円の変動相場制に移行しました。

 これは、復帰前まで「ドル」が暮らしを支えていた沖縄にとって衝撃的な出来事でした。変動相場制への移行で1ドル=360円より安いレートでドルと円が交換されれば、日本からの輸入していた製品の購入費用が膨らみ、物価が上昇します。また、1972年5月に日本に復帰した際、住民が持っていたドルは円に交換する必要がありますが、「ドル安・円高」が進み、1ドルが360円より安くなると、個人の財産が時間と共に目減りする恐れがありました。

 そのため、琉球政府は極秘裏に日本側との折衝を重ね、復帰前に抜き打ちで県民の現金や預貯金のドル資産を確認し、1ドル=360円から目減りした分を日本政府が復帰時に補てんするという“奇策”を打ちました。「通貨確認」は1971年10月9日に実施されました。>>復帰前の沖縄を襲った「ニクソン・ショック」


>>【まとめ】ちむどんどんキーワード集

▼ちむどんどんってどんな意味?

▼復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった?

▼意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って?

▼「とうしんどーい!」って何? 沖縄県民には結婚式や旧盆でおなじみの曲

▼「まーさん」と言えば…ピンクと黄色のあのマーク?