ポークやツナ、コンビーフハッシュなどの缶詰は、チャンプルー料理に欠かせない。亜熱帯の沖縄で保存が利き、戦後の食糧難でも貴重なタンパク源として重宝された。沖縄ホーメルは、県内にそんな缶詰文化を浸透させた企業の一つだ。営業部販促企画課の上原永司さんは、缶詰が広まった背景について「沖縄の豚肉文化に加え、米国の影響があったのだろう」と推察する。
ポーク缶「スパム」は元々、戦争の必要に応じて開発されたものだ。米ホーメルが1937年、戦地で手軽に食べられる食料として開発した。四角い缶は、兵隊のリュックに入れやすくするため。沖縄では米軍統治時代に、基地からの配給などを通じて流通した。
沖縄ホーメルの前身、第一企業が米ホーメルと資本・技術提供を結んだのは69年だった。60年代はさまざまな輸入加工肉食品が市場に出回り、第一企業も「デイゴ印」の県産ポーク缶などを製造した。時代の移り変わりとともに、多くの商品が競争の中で淘汰(とうた)されていった。
長年愛されるコンビーフハッシュは、60年代はポンド缶サイズ(約450グラム)だったという。しかし70年代以降、核家族化が進んで缶詰は小型化していく。環境意識の高まりを受けて、2000年代はじめにはレトルトパックでも商品化され、その後、売り上げが逆転した。上原さんは「半世紀の間にさまざまな商品が生まれ、形を変えていった。これからも県民や時代のニーズに応えていきたい」と語った。
(古川峻)