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ポーク、ツナ、コンビーフ…沖縄で缶詰が愛される理由とその歴史


この記事を書いた人 Avatar photo 古川 峻
沖縄ホーメルの商品

 ポークやツナ、コンビーフハッシュなどの缶詰は、チャンプルー料理に欠かせない。亜熱帯の沖縄で保存が利き、戦後の食糧難でも貴重なタンパク源として重宝された。沖縄ホーメルは、県内にそんな缶詰文化を浸透させた企業の一つだ。営業部販促企画課の上原永司さんは、缶詰が広まった背景について「沖縄の豚肉文化に加え、米国の影響があったのだろう」と推察する。

 ポーク缶「スパム」は元々、戦争の必要に応じて開発されたものだ。米ホーメルが1937年、戦地で手軽に食べられる食料として開発した。四角い缶は、兵隊のリュックに入れやすくするため。沖縄では米軍統治時代に、基地からの配給などを通じて流通した。

沖縄ホーメルの前身「第一企業」が販売した「デイゴ印」の商品=1966年10月10日(沖縄県公文書館所蔵)
沖縄ホーメルの前身「第一企業」の新しい食肉加工場の落成式=1966年11月、中城村内(沖縄県公文書館所蔵)

 沖縄ホーメルの前身、第一企業が米ホーメルと資本・技術提供を結んだのは69年だった。60年代はさまざまな輸入加工肉食品が市場に出回り、第一企業も「デイゴ印」の県産ポーク缶などを製造した。時代の移り変わりとともに、多くの商品が競争の中で淘汰(とうた)されていった。

 長年愛されるコンビーフハッシュは、60年代はポンド缶サイズ(約450グラム)だったという。しかし70年代以降、核家族化が進んで缶詰は小型化していく。環境意識の高まりを受けて、2000年代はじめにはレトルトパックでも商品化され、その後、売り上げが逆転した。上原さんは「半世紀の間にさまざまな商品が生まれ、形を変えていった。これからも県民や時代のニーズに応えていきたい」と語った。

(古川峻)