第32軍司令部壕、崩落で調査は一部のみに 公開に向けデジタル技術の活用を検討


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
第32軍司令部壕跡=那覇市首里真和志町

 1945年の沖縄戦から77年が経った今も、県内には戦没者の遺骨が残され、回収完了の見通しは立っていない。建設工事などに伴い、不発弾が見つかることも少なくない。沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」を前に、現状をまとめた。(塚崎昇平)

 首里城地下にある第32軍司令部壕は、沖縄戦で日本軍の戦闘指揮所として機能した。しかし壕内は崩落箇所が複数存在しており、調査が不十分な状態が続く。

 第32軍は1944年の10・10空襲を受けて強固な壕が必要と判断し、硬い琉球石灰岩でできた首里城地下に壕を建設した。長さ約1キロの壕内には兵士ら約千人以上がいたが、米軍の侵攻を受けて日本軍は南部へ撤退することになり、壕は破棄された。

 壕の調査は県や那覇市などが主体となり、95年までに9回実施された。一方で落盤などによってこれまで調査できた範囲は第5坑道など一部に限られている。

 第32軍壕については19年の首里城正殿火災を契機に、那覇市議会が保存整備と内部公開を求める意見書を全会一致で可決するなど、公開を求める声が高まった。県は今年度から第1坑道の位置特定などの調査を開始し、26年度の公開を目指している。さらに第2・3坑道と第5坑道は本年度以降に最新デジタル技術を活用した内部の公開を検討している。
 (武井悠)


不発弾、いまだ1906トン残る 続く撤去作業、生活影響
沖縄戦戦没者の遺骨、2719体が今も地中に 発見数は減少傾向