きょうだい思い「涙ぽろぽろ…」沖縄戦に動員された少年たちが残した言葉とは 鉄血勤皇隊の遺書を復元、発刊 養秀同窓会


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冊子「一中学徒からのメッセージ」の中で、学徒たちの遺書を修復する作業について写真で紹介するページ

 沖縄県立第一中学校・首里高校の同窓会組織「養秀同窓会」(與儀毅会長)は沖縄戦に鉄血勤皇隊として動員された県立一中の生徒が書いた遺書を復元してまとめた冊子「一中学徒からのメッセージ―遺書に託された恒久平和への道―」を8日に発刊した。9日、那覇市の養秀同窓会館で記者会見した與儀会長は「とりわけ高校生に読んでほしい。年の近い生徒がどういう思いで戦争に行ったのかを知ることで、戦争の悲惨さについて考えるきっかけにしてほしい」と呼び掛けた。

▼鉄血勤皇隊

 遺書が書かれたのは米軍が本島に上陸した後の1945年4月4~5日ごろ。冊子には、遺書や封筒、生徒たちの写真に加え、戦時中の足跡なども掲載されている。当時3年生だった豊里陳雄さんは遺書で「自分等も鉄血勤皇隊として軍服姿に身を固め、英米滅に邁進したのであります」と記す一方で「陳康、和子、友健の事を思う事に涙ぽろぽろと落ちるのみ」ときょうだいを思いやった。遺書を書いた後、豊里さんは米軍の攻撃で負傷し6月上旬に息を引き取ったとの証言が残る。

冊子の発刊について説明する養秀同窓会の與儀毅会長=9日、那覇市首里の同会会館

 同じく3年生だった根神屋昭さんは「もし幸いにも生還をするならば再び父母兄弟の顔が見られる事でしょう」と家族への思いを明らかにした。同時に「しかし生還はもとより期していません。決死敢闘悔いなし」とも書いた。根神屋さんは6月17日に本島南部で戦死したとの証言がある。

 編集委員を務めた一中学徒資料室解説員の山田親信さんは「封筒や遺書には筆跡が残っており、リアリティーをもって当時の様子や学徒の思いを伝えている」と語った。

 沖縄戦当時、県内の21校の学徒隊のうち、一中の鉄血勤皇隊の学徒だけが学校の指示で遺書を書いた。遺書は一中の職員が預かり、戦争が激化する中、豊見城の保栄茂で遺書などを保管した二つのかめを地中に埋めた。戦後、遺書は遺族らにより発見された。

 養秀同窓会は遺書の一部を資料展示室に展示していたが、次世代に残すため、2016年から修復作業に着手した。今後も遺族から遺書の復元依頼があれば修復する。

 冊子は非売品。県立図書館や県内の市町村立図書館などに配布された。希望者には郵送する。問い合わせは養秀同窓会(電話)098(885)6450。
 (狩俣悠喜)

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