24日に死去した稲盛和夫氏は沖縄経済とも関わりが深い。中山素平氏(元日本興業銀行頭取)が提唱して発足した沖縄と全国の経済人による協力交流の場「沖縄懇話会」に設立当初から関わった。1990年の同会の発足総会で、当時DDI(現KDDI)会長だった稲盛氏が、自動車電話・携帯電話会社を沖縄に設立することを提案。沖縄セルラー電話の設立につながった。
「沖縄セルラー電話20年史」によると、稲盛氏と沖縄の関わりは同氏が40代の頃にさかのぼる。当時、稲盛氏は半導体産業が勃興していた米国シリコンバレーに足しげく通っていた。そこで出会ったのが、スタンフォード大学大学院で物理学を専攻した2人の沖縄出身者だった。2人の人柄に好感を持った稲盛氏は、半導体部品を作る会社を興す2人に出資。会社は順調に成長した。稲盛氏は経営から身を引いたが、2人との付き合いを通じて沖縄の人々の人柄に引かれるようになったという。
沖縄懇話会設立に向け、県内の若い経営者と付き合い、沖縄の歴史や文化に触れるうちに稲盛氏は、「本土の人たちによって沖縄を思うように従えていくというやり方を沖縄県民は望んでいない」と感じるようになった。
セルラーでは当初、沖縄を九州セルラー電話の管轄にするという話があったが、「沖縄の人と一緒になってセルラー電話を作りたい」と自主独立の方向を選んだ。
稲盛氏は2018年まで沖縄セルラー電話の取締役相談役を務めた。
(玉城江梨子)
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