【ちむどんどん第108話】沖縄の豚の歴史 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
ハワイから豚を運んだ船と豚の親子をかたどった石像=沖縄県うるま市のうるま市民芸術劇場

 ちむどんどん第108話では、アッラ・フォンターナでオーナーの房子(原田美枝子)の帰国を祝う会と称して、暢子(黒島結菜)の店の改善策を房子に相談する会食が催されました。会食の席には賢秀(竜星涼)と、賢秀の働く養豚場の経営者・猪野寛大(仲原丈雄)も、職業を隠して飛び入りで参加しました。おいしそうなポルケッタ(骨なしのポークロースト)をきっかけに、豚を全部食べるイタリア南部と沖縄の食文化の共通点に話の花が咲きました。猪野もハワイの豚の話(参照:【ちむどんどん第46話】ハワイの豚の話)を披露し、賢秀は感動の涙と共に思わず自分の仕事ももらしてしまいそうになるのでした。

 さて、沖縄では先史時代(10世紀以前)から猪もしくは豚の飼育がされていたという説があります。文献では、1477年の朝鮮漂流民見聞録「李朝実録」より、豚は1400年代には既に飼育されていたことが確認できます。18世紀には、琉球王府が養豚を奨励する政策をとり、豚の飼育が普及していきました。沖縄の在来種は体毛が黒い島豚が主でしたが、明治維新後「外国種」(西洋種)が導入され、在来種との雑種化が進みました。その後、沖縄戦で壊滅した養豚は、「ハワイからの豚」のおかげで復興を遂げました。
 


>>【まとめ】ちむどんどんキーワード集

▼ちむどんどんってどんな意味?

▼復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった?

▼意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って?

▼「とうしんどーい!」って何? 沖縄県民には結婚式や旧盆でおなじみの曲

▼「まーさん」と言えば…ピンクと黄色のあのマーク?

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