安倍晋三元首相の国葬が27日に東京で行われる。自民党の県議、無所属の衆院議員として安倍政権と向き合った仲里利信さん(85)=南風原町=は「安倍政権は沖縄に対する心がなかった」と振り返り、国葬に疑問を呈した。
仲里さんが安倍元首相と聞いて真っ先に思い浮かべるのは2007年の教科書検定問題だ。文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に関する日本軍強制の記述が修正・削除された。「軍隊を賛美するやり方の行く先は戦争準備だ。沖縄をまた戦争に巻き込むつもりか」
当時、仲里さんは自民党の県議で、県議会議長だった。超党派の県民大会を先導し、検定意見撤回と記述回復を求めた。党員としての立場より先に、戦争体験者として怒りがこみ上げていた。
県議を引退後は自民党県連顧問、西銘恒三郎衆院議員の後援会長を務めた。しかし、自民党県連が辺野古新基地建設容認に公約を転換したことに憤り、後援会長を辞任。14年の衆院選では西銘氏と同じ沖縄4区から出馬し、当選した。仲里さんは保革を超えた「オール沖縄」の象徴とも呼ばれた。
衆院議員として対峙(たいじ)したのも安倍政権だった。仲里さんは毎週2件の質問主意書を出し、辺野古の軟弱地盤、過大な海上警備費、沖縄に対する政治姿勢などを追及した。1件当たりの質問は約20項目。事務方から減らすよう求められても、質問主意書を出し続けた。
閣議決定された回答は、いつも「質問の趣旨は明らかではないが」と定型の前置きがあり、質問には答えず、政府見解が記された。在任中に出した質問主意書は132件。回答を見て感じたのは「安倍政権は沖縄と向き合う意志がない」ということだった。
仲里さんは、尊敬する政治家として元官房長官の野中広務さんや初代沖縄開発庁長官の山中貞則さんなど自民党の重鎮を挙げる。「自民党はかつて『償いの心』で沖縄と向き合っていた。だが、安倍政権は議論せずに切り捨てていた。自民党には『安倍自民党』と、それ以前の自民党がある」と語り、安倍政治の異質さを強調した。
(稲福政俊)
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