出稼ぎ、進学…やんばる離れ、支え合い70年 「奥郷友会」が歴史に幕 高齢化で会員減 沖縄・那覇


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 国頭村奥出身者でつくる在那覇奥郷友会が会員数の減少などで活動が難しくなったとして解散したことが分かった。戦後、出稼ぎや進学で那覇近郊に出てきた奥出身者らが1951年7月に50人あまりで結成。91年には320世帯約1400人まで増えたが、少子高齢化や核家族化の影響で組織率が低下したことなどから、昨年12月に解散総会を開き、約70年の歴史に幕を閉じた。

奥郷友会解散総会であいさつする宮城邦昌会長(右)と書記の金城秀昌さん(左)=2022年12月18日、那覇市繁多川自治集会場(提供)

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 奥郷友会は、復帰前後には沖縄市や名護市、大阪、東京など各地にあったが、自然消滅し、今は那覇に残るだけとなっていた。12月18日に繁多川自治集会場で開いた解散総会で宮城邦昌会長(74)は「大変寂しい。生活様式の多様化が押し寄せ、奥魂も失われつつある。先輩方の頑張りを振り返ると涙が出てくる」と苦しい胸の内を明かし、会員らに「心から感謝したい」とあいさつした。

 沖縄本島最北端の集落である奥は、県内初の共同売店設置など村づくりの先駆的な取り組みで知られる。問題があれば「共(住民)に計り、そこに和が在(あ)る」とする「共計在和」の“奥魂”を大切にしてきた。沖縄戦ではほとんどの家屋が焼失。引き揚げ者の増加に伴う人口増加や住居不足、出稼ぎや進学などで那覇に移り住む人が増えた。

 郷友会では共同墓の運営や貸し付けなどを行ってきた。宮城さんは「今後は有志会という形で古里との関わりをもっていければ」と話す。2月中の立ち上げを予定し、1月23日時点で55人が参加を希望しているという。

 郷友会に詳しい熊本大学大学院教育学研究科の山城千秋教授は「共同売店をはじめ、時代の先を歩んできた奥の宝が一つ消えることは残念でならない。世界のウチナーンチュのように3、4世になっても、母村、母県を思う心は沖縄人に共通のはずだ。今後、個々人として、母村を思い、つながり続けることが重要になるだろう」と話した。
(中村万里子)


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