琉球ゴールデンキングスのプロバスケットボールBリーグ初制覇に、名護市出身の岸本隆一(33)が大きく貢献した。2013年のプロ入り後はキングス一筋でプレーし、高い得点力と粘り強い守備で多くのファンを魅了する。悲願のリーグ優勝を果たしながらも、ここまでの道のりは「順風満帆ではなかった」と振り返る。そのバスケ人生と頂点までの歩みをたどる。
(平安太一)
«幼少期にバスケと出合い、小学校で本格的に競技を始める。北中城高校時代に高い得点力の土台を築いた»
3~4歳の頃だったと思うが、家の庭にバスケのリングがあって、兄が友人とプレーしているのを見ていた。楽しそうだと思いながら眺め、まねしていた。バスケ部に入ったのは小学3年になってから。身長は低い方だったので、ずっとガードのポジションを任されていた。
遠い位置からシュートを打つことが子ども時代から好きだった。「遠くから決める人がすごい」みたいな単純な発想で、3ポイントシュートがないミニバスケでも離れた場所からゴールを狙っていた。北中城高校時代は点を多く取ることがチームのスタイルだった。得点することが楽しくて、高校のチームスタイルにやりがいを感じていた。それが今のプレーのベースになっている。
«高校時代に、沖縄に琉球ゴールデンキングスが誕生した。地元出身の選手が多いキングスを身近に感じ、チームでプレーしたいと思うようになった»
正直に言うと、最初は沖縄にプロチームができたことに、そこまで影響を受けていなかった。当時のキングスには茂さん(金城茂之)や澤岻直人さんがいて、2人とも高校の先輩なので普段から練習相手になってもらっていた。良くも悪くも(キングスを)身近に感じすぎていて、プロチームだという見方をしていなかった。
少し時間がたってからキングスの試合を見に行く機会があって、衝撃を受けた。外国籍選手のプレーは迫力があり、高校の先輩がエース級の働きをしていた。キングスが憧れの存在に変わり、このチームでプレーできたら幸せだなと感じるようになった。
大東文化大学3年の頃、秋のリーグ戦の試合後に控室へ戻ろうとした際に、通路に(前社長の)木村達郎さんが立っていた。名刺を渡されて時間のある時に連絡が欲しいと言われた。木村さんの名前は知っていたけど、最初は本当なのかと思っていた。後日、連絡をして(入団に向けた)話をさせてもらった。
«大学時代の実績も十分で、大きな期待を受けてプロに入った。しかし、簡単な世界ではないことを痛感する»
大学で手応えを感じていて、キングスでも期待されているのが分かっていて、結果を残そうと思ってコートに立った。ただ、最初の試合はほとんど覚えていない。「何をやったらいいんだ」というところから始まった。
当時は試合でいいプレーをしたら、それで十分だと思っていた。しかしプロの選手は試合に入るまでの過程を大事にしていた。試合に向けてしっかりと準備をして、一人一人が役割を果たす。プロ選手の責任感が伝わってきて、いかに自分が積み重ねていなかったかを感じた。プロのレベルの高さは想像していたけど、それ以上に、試合に出るまでに準備を重ねる大切さを痛感した。
«bjリーグで4度の優勝を果たし、常勝軍団と呼ばれていたキングス。しかしBリーグ初年度は思うように結果を残せず、悔しさを味わった»
Bリーグ最初のシーズンは毎試合、レベルの違いを感じていた。(強豪チームは)戦っているステージが違うし、点差以上に大きな差があると思った。強豪チームはキングスと試合をしていても、目線が別のライバルチームに向いているように感じた。キングスには勝って当たり前で、それよりも上位争いをするライバルチームが勝ったか負けたかが気になっていたはずだ。目の前のキングスと勝負するのではなく、もっと先を見ているようだった。僕たちにとって試合の勝ち負け以上に屈辱を感じるシーズンだった。ただ、当時のチームメートはみんなポジティブで下を向く選手はいなかった。周りの仲間に救われた。
2シーズン目に佐々宜央さんがヘッドコーチに就任して、もう一度、守備に立ち返ってフォーカスした。bjリーグでは得点力やリバウンドなど一つだけ武器があれば戦えたけど、Bリーグでは二つ以上の武器がないと上位争いをするチームにはなれない。佐々さんが来て、守備に重点を置いてくれたのは、自分自身がステップアップするために必要なきっかけだった。
«キングスはBリーグで一歩ずつ成長し、優勝争いに絡むようになった。そして2022-23シーズン、ついにリーグの頂点に立った»
チームは毎年ステップアップして、チャンピオンシップに出場して、準決勝、決勝まで進めるようになった。いろいろな選手やコーチと一緒にプレーして、チームを去った人もいる。僕がキングスで試合に出続けて優勝しないと、チームを去った人たちは納得しないと思っていた。
優勝までの7シーズンはすごく長かったし、順風満帆ではなかった。チームの結果が上がる中で僕自身が試合に絡めない時期もあった。チームは前に進んでいるのに置いていかれる気持ちになることは、たくさんあった。振り返ったら大変だったことが圧倒的に多い。それが必要な時間だったのかは分からないけど、とにかく毎年、優勝を目指してやってきた。
«シーズン中は毎試合、沖縄アリーナを埋め尽くし、決勝の舞台にも足を運んでチームを後押ししたファンに、心から感謝している»
普段から沖縄アリーナという素晴らしい場所で試合をしているので、決勝の舞台でも誰一人、気負わずにプレーできた。優勝を決めた後にみんなが抱き合って喜んでいるのを見て、自分たちがどんなプレーをするかで、どんな場所でもホームに変えられると感じた。沖縄に帰ってきて、いろいろな人に声を掛けてもらった。これだけ多くの人が応援してくれて、僕以上に優勝を喜んでくれる人がいるんだと実感した。
«プロデビューからキングス一筋でプレーを続けている。生まれ故郷のチームへの愛着は深い»
最初にキングスが沖縄にできたとき、遠い存在だと感じなかった。僕がキングスでプレーし続けることで沖縄の子どもたちにキングスを身近に感じてもらえる。そこにプロ選手としての意義を感じており、キングスにこだわる理由でもある。今回の優勝で少なからずいい影響を与えられたと実感している。自分自身がバスケを楽しんで、結果として誰かにいい影響を与えたい。そういう感覚にもなってきた。 新たなシーズンは連覇にチャレンジする。もっと強くなって、いいチームになりたい。大変なシーズンになると思うけど、いかに楽しめるか自分なりにフォーカスする。自分たちがプレーをして、見ている人に何かを感じてもらえたら最高だ。
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