
人気バスケットボール漫画「スラムダンク」を新たに映画化した「THE FIRST SLAM DUNK」が、大ヒット上映中だ。今作は主人公・桜木花道のチームメイトである宮城リョータのストーリー。作中、宮城の地元と明かされた沖縄は、近年、Bリーグ所属のプロバスケットボールチーム「琉球ゴールデンキングス」の活躍がめざましく、今年8月のバスケW杯の開催地にもなるなど、バスケ熱が高い。その根底にあるものとは?沖縄バスケに魅せられた、あるキーマンの解説で深掘りしてみた。(田吹遥子)
スラムダンクと沖縄バスケ㊤>>宮城リョータの地元沖縄で…井上雄彦が訪ねた名将
■湘北VS山王みたい?「彦一」の心を奪った一戦
「辺土名旋風」に北谷高校の躍進…スラムダンクの作者井上雄彦さんも訪ねたという名将・安里幸男さんが率いる沖縄の高校バスケに、熱視線を注いでいた人がいた。沖縄バスケットボール情報誌「アウトナンバー」GMの金谷康平(39)さんだ。東京出身で自身も中高、大学時代までプレイヤーとしてバスケに打ち込んだが、そのきっかけは沖縄にあった。

母が沖縄出身。母方の叔父は高校バスケの経験者で社会人のチームにも入っていた。小学1年生の頃、叔父が東京に来たときに遊園地で遊んだバスケのゲームが記憶に残っている。「リングにボールを入れたら景品がもらえるゲームがとしまえんにあったんですが、おじさんがシュートをスパスパ決めていくのがかっこよくて。それがバスケに興味を持った入口でした」。
そして中2の時、金谷さんの心を震わせる試合に出合う。1997年12月26日、東京体育館で行われたウィンターカップ準々決勝の能代工業高校(秋田県)対北谷高校の一戦だ。
当時の能代工業は高校生チャンピオン。スラムダンクで主人公の桜木花道たちが所属する湘北高校が戦う強豪・山王工業高校のモデルとも言われている。さらにこの試合には、後に日本人初のNBAプレイヤーになる田臥勇太がいた。そんな強豪に挑んだのは安里さんが監督を務める北谷高校。能代工業の勝利を予想する人が多い中、金谷さんは違っていた。

その年の5月に行われた「能代カップ 高校選抜バスケットボール大会」。能代工業のある秋田県能代市のバスケットボール協会が主催するこの大会で、北谷は能代工業と対戦。前半は同点とするなど互角の戦いをみせていた。身長190㎝の選手を3人有する能代に対し、「辺土名旋風」同様、平均身長の低い北谷の高速バスケが光った試合。金谷さんは中学生ながら、その試合を事前にチェックしていたのだ。
「(能代カップでの)北谷高校の戦い方を見ていて、これは沖縄のチームが能代工業を倒す瞬間が本当に見られるかもって思ったんです。まさにスラムダンクの山王戦みたいになると…」。

ウィンターカップも128-105で能代工業が勝利したが、「壮絶な打ち合い。前半は離されたんですが、後半は上回ったと思う」と興奮気味に振り返った。当時のスコアまで、まるで試合直後のように記憶している金谷さん。そのマニアックさは、スラムダンクで桜木たちのライバル校・陵南高校に所属する新人でチーム分析を怠らないキャラ・相田彦一に例えられることも。「スラムダンクの彦一みたいって言われるんですよ」と笑う。
それから「沖縄バスケ」に釘付けになり、大学卒業まで全国大会での沖縄勢の試合を毎年のように追い掛けるようになった。
2015年、妻の出身地でもある沖縄に移住。バスケはいちファンとして注目してみていたが、「自分が好きなことをしたい」と思い立ち、2018年10月に沖縄バスケの情報誌を立ち上げた。「野球やサッカーには専門誌がある。それならバスケットジャーナリズムというものがあってもいいと思ったんです」。現在はWEBでの発信を中心に沖縄バスケの歴史から高校バスケ、キングスまで幅広く報じている。
■「栄光時代」は高校バスケに限らない

近年、沖縄は高校バスケでは全国で勝ち進めない日々が続いている。しかし金谷さんは、その理由を「日本のバスケット業界自体が転換した」結果とみている。
スラムダンクでは、桜木が選手生命に関わるような背中のけがを負いながら、試合に出る。金谷さんは「高校がバスケのピークだった時代の象徴的なシーン」と語る。
「でも今、バスケのピークは高校じゃない。高校を卒業したその先を目指す選手が出てきた。バスケで稼ぐ、ということの裾野が30年かけて整ってきたんです」。
日本国内初のプロバスケットボールリーグ「bjリーグ」が2005年に誕生したことを契機に、日本バスケット界は大きく変わる。

現在、沖縄で絶大な人気を誇る琉球ゴールデンキングスは2007年にbjリーグに参入した。参入2年目の2009年に初優勝。そしてBリーグが開幕する2016年までに4度の優勝を重ねた。Bリーグ開幕後、2017-2018シーズン以降は西地区で1位の座を守っており、昨シーズンの準優勝は記憶に新しい。
キングスの活躍の原動力となるのがブースターの応援だ。2021-2022年の営業収入はBリーグ所属クラブ2位の19億7357万円。2021年に落成した沖縄アリーナでの誘客も好調で、過去最高のチケット収入だった。

キングスでプレーしてきた沖縄出身者の選手(もしくは元選手)も数え切れない。澤岻直人、與那嶺翼、金城茂之、山内盛久、並里成、津山尚大、そして今もキングスに在籍する岸本隆一…。ほかにも多くのプロプレイヤーとして奮闘する彼らの姿を見て、それに続こうとする高校生たちも増えてきたという。「プロの選手として活躍することが目的になっている」と金谷さんは指摘する。
近年の沖縄におけるプロバスケの広がり。金谷さんは「沖縄という特殊な土壌があってこそ」と強調する。
■沖縄のバスケ熱…実は「ミニバス」から?

沖縄バスケにまつわるさまざまな取材をしてきた金谷さん。県外で生まれ育った自らの経験や沖縄での取材から「沖縄でのバスケの盛り上がり方は全国と比べても異質」と語る。その代表例がミニ・バスケットボール人口の多さだという。
ミニ・バスケットボールとは、主に小学生を対象としたバスケットボール競技で、日本バスケットボール協会(JBA)では「U-12」としている。
沖縄県バスケットボール協会によると、県内小学校におけるミニバスチームの普及率は2019年度で63.1%と全国一だ。JBAのデータによると、沖縄県内で県内のU-12登録選手数は2022年3月1日時点で6736人。東京都の5881人を上回っている。2019年度の人口比では秋田県や青森県に次いで3位。沖縄でのミニバス人口の多さは圧倒的とも言える。
確かに、この記事を書きながら、沖縄出身である記者自身が育ってきた環境や、これまで県内の小学校を取材したことを振り返ってみれば、ほとんどの小学校にミニバスのチームがあった。
金谷さんは「沖縄ではバスケが人々の生活に根付いているんです。それがある意味沖縄の文化とも言えるかも知れない」と指摘する。

■沖縄が「日本バスケの約束の地」になる
バスケが根付き、熱がさらに高まる沖縄で、今年8月にはW杯が開かれる。「必然」とも言うべき開催地の決定に、金谷さんは「バスケットボールの神様っているんですよ」とほほえむ。
実は2006年にも日本でバスケのW杯があった。しかし、当時の日本バスケットはセミプロの日本バスケットボールリーグ(JBL)から一部のチームが離脱し、プロリーグbjリーグが立ち上がった時代。「盛り上がりにも欠けた」と振り返る。
今回は、Bリーグが誕生して初めてのW杯。金谷さんが「アウトナンバー」を立ち上げた理由の一つに、W杯の沖縄開催もあった。「2006年のリベンジで、日本にとっても重要な大会になる」と意気込む。
そして「開かれてよかった、ではない」と続ける。

現在、W杯はオリンピックの出場権を懸ける重要な大会だ。日本のオリンピック出場はアジアで1位になることが要件。W杯では出場する32カ国中、16位以上に入ればその要件を満たすことができる、とみられている。
「日本がオリンピック出場を成し遂げた土地が沖縄であるということが重要なんです」と金谷さん。そしてそれは「今の日本であれば可能」とも語る。
「そうすれば、沖縄が未来永劫”バスケの約束の地”になるはず。いや、しないといけない」。彦一のような熱い解説で、期待を込めた。
スラムダンクと沖縄バスケ㊤>>宮城リョータの地元沖縄で…井上雄彦が訪ねた名将
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