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宮城リョータの地元沖縄で…田岡茂一のモデル?井上雄彦が訪ねた名将<スラムダンクと沖縄バスケ㊤>


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子

 

 人気バスケットボール漫画「スラムダンク」を新たに映画化した「THE FIRST SLAM DUNK」が、8週連続で観客動員数1位を記録し、大ヒットを更新中だ。今作は主人公桜木花道のチームメイトである宮城リョータのストーリー。作中、宮城の地元と明かされた沖縄は、近年、Bリーグ所属のプロバスケットボールチーム「琉球ゴールデンキングス」の活躍がめざましく、今年8月のバスケW杯の開催地にもなるなど、バスケ熱が高い。そんな沖縄とスラムダンクの関係は?あるキーマンのストーリーから見つめてみた。(田吹遥子)

 

■1991年の高校総体で「参考にしていいですか」

 スラムダンクと沖縄と言えば、ある名将を思い浮かべる人もいるだろう。県内の高校バスケを監督として長年けん引してきた安里幸男さん(69)だ。桜木や宮城たちが通う湘北高校のライバル校、陵南高校の監督を務める田岡茂一のモデルと噂されている。実際はどうなのか。

安里幸男さん。自宅の部屋にはこれまでコーチや監督を務めたチームの資料がたくさん。「安里幸男バスケットボールミュージアム」としている。

  「(作者の井上雄彦さんから)直接、田岡茂一のモデルと言われたことはないですよ」と安里さん。だが、1991年に静岡県浜松市で開かれた高校総体の際、井上さんが安里さんを訪ねてきたという。その年、安里さんが監督を務めていた北谷高校が総体に出場し、快進撃を続けていた。

 「東海大浦安とだったかな?その試合後の会見が終わってホテルに戻ったら、井上さんが訪ねてくれていた。そこで(漫画の)参考にしていいですか、と聞かれた」。

 「井上さんは『バスケの漫画は売れないと言われてるけど、バスケが面白いスポーツであることを伝えたい』と言って、情熱にあふれていた」と振り返った。

 漫画を見ると似ている点があった。「(陵南高校が漫画の中で掲げる)『勇猛果敢』の横断幕は北谷と同じ」。桜木たちが所属する湘北高校バスケ部の赤いユニフォームが北谷高校のものとそっくりであることはファンの間で長年噂されてきた。いくつかの事柄が重なったこともあったのか、安里さんは「周りから田岡に似てると言われて、いつのまにかそう呼ばれるようになった」と話す。

 

■宮城リョータのよう…平均身長160㎝台の戦い方

 安里さんは沖縄本島の北部、大宜味村の生まれ。自身も地元の辺土名高校でバスケに打ち込むが、専門的に教えられる指導者がおらず、県大会での成績も振るわなかった。「後輩たちに悔しい思いをさせたくない」と目指したのが指導者だった。
 大学時代に、バスケ強豪校だった秋田・能代工業高校に加藤廣志監督を訪ねて極意を学び、外部コーチとして母校に戻った。指導したのは、宮城リョータのような身長160センチ台の選手がほとんどの小さなチームだ。「身長が低いと勝てない」と言われた時代。辺土名が県代表になっても、国体には別の高校から身長が高い選手を選抜していたという。

「それだけ県としても小さいと勝てないと思っていたんでしょうね」。

 それでも安里さんは選手にこう言った。

「日本のバスケットボールの方向性を示すようなゲームを必ずやろう」。

井上さんが安里さんを訪ねた1991年の高校総体。北谷高校が全国3位に輝いた。

 小さなチームで勝つため…安里さんの戦略は「超速攻」とも言われるスピードと、ディフェンスの強化だった。

「あの当時の選手は個人技はあるけど、ディフェンスがなかったの。だからまずディフェンスを鍛えることだと思った。あとは平面的に戦う。ファーストブレイク(速攻)を40分間やり通す」。

 その結果、辺土名は自分たちよりも体格の大きな相手を次々と撃破し、全国3位になった。それは後に「辺土名旋風」と語り継がれる。

「小さくてもできるという思いが県民に広がったと思う」と安里さんは振り返る。

 井上さんが安里さんを訪ねた1991年の高校総体でも、北谷高校が全国3位と好成績を収めた。その際はスピードとディフェンスに加え、選手たちの長所だった3ポイントシュートを磨いた。

 3ポイント、スピード、プレッシャーディフェンス。辺土名、北谷で結実した勝ち方の3条件。安里さんはこれが「(世界の高さと対峙する)日本代表の戦術にもつながっている」と話す。
「小さいチームが勝つためにやることは自ずと決まってくる、こういうことをやるしかない」。

 

■コーチに必要なものは

「コーチに必要なものは情熱と勤勉さ。その水面下にある大きいものが愛情」と安里さん。

 沖縄の高校バスケは、辺土名や北谷が全国3位、北中城が準優勝…と全国大会を席巻した1980年代後半から1990年代を「ピーク」とする見方がある。2000年代以降、県外の高校が多くの留学生を有するようになってからは、沖縄の高校が全国大会で勝ち進むことが難しくなったからだ。

 安里さんは現状を「復帰前に戻っちゃった」と言うが「けど、悲観することはないと僕は思っている」と続けた。
 「個人個人のスキルは間違いなくアップしている。その証拠にウィンターカップで優勝した高校に沖縄出身者がいる。また、残り5秒でシュートを決めてチームの勝ちを決めた、そういう沖縄出身者がいる。それなりのプレイヤーは沖縄にいるということだ」と断言する。実際、沖縄から県外の高校で活躍し、プロになった選手は多い。

 では今の沖縄バスケに足りないものはなにか。安里さんは「コーチがまずしっかり勉強すること」と話す。「コーチに必要なものは情熱と勤勉さ。その水面下にある大きいものが愛情。子どもたちをなんとかしたい、という気持ちがあれば行動につながる」。

 だがコーチは時に孤独にさいなまれる。安里さん自身も試合の負けを「怖い」と思ったことがあった。「協会も含めてコーチをサポートすることが大事。負けたときこそ手をさしのべることが大事」と強調する。

「キングスを筆頭に、これだけバスケが盛り上がってる。今こそ”チーム沖縄”としてみんなで一致団結して取り組めば、3年で芽が出てくる。能力がある子たちは沖縄にいっぱいいる」。

  田岡茂一のような鋭い眼光で沖縄バスケの未来を語った。

<スラムダンクと沖縄バスケ>㊦ 沖縄はなぜバスケ熱が高い?ミニバスからキングス、W杯まで…沖縄の「彦一」が分析

>>安里幸男さんのストーリー<バスケットボールに恋をして>

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