戦争生き抜いた人たちがいて、自分がいる “ヒップホップクイーン”Awichがつなぐ「沖縄の心」


戦争生き抜いた人たちがいて、自分がいる “ヒップホップクイーン”Awichがつなぐ「沖縄の心」
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 78年前。「ありったけの地獄を集めた」と表現される地上戦が繰り広げられた沖縄では、県民の4人に1人が亡くなった。  

 沖縄出身の人気ラッパーAwich(エーウィッチ)さんは、幼い頃から家族の戦争体験を聞いて育った。  

 日本軍の兵として戦った祖父、戦時下に生まれ戦後の厳しい暮らしを知る父…。身近な人の体験を聞くことは自分のルーツやアイデンティティーを感じ取ることであり、Awichさんにとって「とても尊い財産」だと語る。この夏は伯母を訪ね、米軍に突撃して亡くなった兄のことや戦中戦後の暮らしに耳を傾けた。  

 戦後、母が通っていた学校に米軍ジェット機が墜落し、母は真っ黒に焼け焦げた子の姿が今も脳裏にこびりついているという。58年後、今度は娘の通う小学校に米軍ヘリの部品が落下した。夫を亡くし失意に暮れていたときには、父の言葉が再起の力になった。

 厳しい時代をたくましく生き抜いた故郷の先人たち。そして不条理の中で力強く羽ばたこうとしている子どもたち。たびたび故郷への思いを楽曲に表現してきたAwichさん。世代を超えて受け継がれてきた「沖縄の心」に向き合い続ける。

>>【動画と本編】「大嫌いだった」沖縄、Awichがたどり着いた答え 北島角子さんとの縁・・・明かされる家族の歴史

この記事は琉球新報社とYahoo!ニュースによる連携企画です。


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