小笠原と沖縄 ―返還50年の先に―


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 東京から南へ約1000キロの太平洋に広がる小笠原諸島。島々は、敗戦した日本が1952年に主権を回復した後も、沖縄と同様に米国の統治下に置かれた。68年に日本に返還され、半世紀が過ぎた現在は父島と母島に約3千人が暮らす。

 小笠原諸島は〝教科書的〟な日本の歴史とは異なる歩みをたどった。長く無人島だった小笠原に最初に住み着いたのは、1830年に太平洋を渡って父島にやってきた欧米人やハワイの先住民ら二十数人。76年に日本領土となったことで移住や開拓が進められ、太平洋戦争が始まる時期には人口は7千人を超えた。

 1944年6月に米軍が父島や硫黄島を空襲するようになったことを受け、島民6886人は日本本土に強制疎開させられる。硫黄島では45年2月に地上戦が始まり、2万人以上の日本兵や約7千人の米兵が犠牲になった。亡くなった日本兵の中には100人を超える沖縄出身者もいた。

父島の玄関口、二見湾。天然の良港で、かつては南洋への前進基地や軍事上の拠点としても機能した=2018年7月撮影

 終戦後、小笠原を占領した米軍は19世紀に島にやってきた欧米系のルーツを持つ約130人に限って帰島を認めたため、本土に疎開した多くの島民は身寄りのない地での厳しい生活を余儀なくされた。米統治下の父島や硫黄島には核兵器が配備されていたことも明らかになっている。

 68年の返還で父島や母島には行き来できるようになったが、地上戦のあった硫黄島は、返還から半世紀が過ぎた現在もなお元島民の帰郷が許されていない。日本政府は火山活動があることなどを理由に、遺骨収集や墓参の機会を除いて硫黄島への立ち入りを拒み続けてきた。一方で、返還後の硫黄島には自衛隊基地が置かれ、米軍戦闘機の訓練にも使用されている。


戦争に翻弄された島々
~小笠原諸島~

 

〝欧米系〟以外は戻れなかった戦後の小笠原

大平京子さん

サトウキビと漁業で豊かだった北硫黄島

山崎茂さん

帰ることのできない故郷〜硫黄島〜

山下賢二さん

連載・小笠原と沖縄
―返還50年の先に