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不平等な人生「明るくできる」 女性たちに境遇重ね、支える側に 「できること頑張ろう」 <雨のち晴れ>第1部「あき社長の奮闘」(1)の続き


不平等な人生「明るくできる」 女性たちに境遇重ね、支える側に 「できること頑張ろう」 <雨のち晴れ>第1部「あき社長の奮闘」(1)の続き 正月飾りが並ぶ店内のカウンターで、スタッフと談笑する玉城あきさん(中央)=2023年12月28日夜、那覇市松山(小川昌宏撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 吉田 早希

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 那覇市松山の飲食店「琉球かさ屋」でシングルマザーやナイトワーカーを雇い、自立を支える同店代表の玉城あきさん(39)には、スタッフの女性たちの状況が過去の自分と重なって見えた。

 28歳から本格的に松山のキャバクラで働いた。キャストの中には、幼い頃から学校に十分通えていなかったり、交際相手や家族から暴力を受けたりして、安心して暮らせる環境にない女性たちもいた。急に欠勤するなど、精神的に不安定な様子も目にしてきた。

 「夜の仕事に対して偏見や差別も多いが、私自身は飲み屋勤めのおかげで救われた。ただ、日銭の生活は長くは続かない」。昼の仕事に就こうとしても、昼夜逆転だった生活リズムや金銭感覚をすぐに変えることは難しい。彼女たちが自立し、社会から孤立せず生活ができるよう、共に働きながらサポートしようと考えるようになった。

 玉城さんが支援するスタッフで、シフト通りにひと月出勤できた人はまだいない。だからといって、だめだと切り捨てない。「一般社会ではあり得ないことだと思う。けど、明日が見えない生活をしている子にとって仕事の優先度は低い」。そうなる原因や背景を理解するよう常に意識する。

 店を訪れる客の誘いで、翌日は朝からイベントの手伝いが控えていた。あき社長、と慕われる玉城さんがスタッフを気遣う。「体力見ながらでいいからね、無理しないでよ」

 幼い頃から集団行動やコミュニケーションが苦手だった玉城さんは、中学生の頃うつ病などと診断された。「当時は発達障がいの診断も今のように細分化されていなくて、自分でもどこか納得がいかないままだった」

 不登校や自殺未遂、精神科病院への入院を経験し、睡眠薬など処方薬に依存したこともあった。シングルマザーとして子育てをしながら生活のため、借金返済のためキャバクラで働いた。

 2020年に自閉スペクトラム症と診断を受けた。周囲と比べ苦手なことが多い自分を否定し「治そう」としていたが「私はこれでいい。できることを頑張ろう」と自己理解のきっかけになった。

 長くて暗いトンネルを歩いた。出口はなかなか見えなかった。それでも今、笑顔がある。「人生は不平等。だけど、生き方次第で自分の人生を明るい方に変えることができる」

 (吉田早希)

<メモ>伴走型支援

 支援者が本人に寄り添い伴走し、継続的につながることを目指す支援。社会的孤立を解消し、周囲との関係を広げていくことを支える。厚生労働省の検討会は、対人支援で求められるアプローチとして(1)現金や現物給付など、本人の具体的な課題解決を目指す(2)伴走型支援―を両輪に、本人の意向や状況に合わせて支援を組み合わせる必要があるとしている。