11月の深夜、けたたましく鳴る携帯とサイレン。北朝鮮の軍事偵察衛星発射を「ミサイル」と知らせる、まるでおどろおどろしい「演出」に、9月に話を聞いた与那国島の長濵智恵子さん(90)の言葉が脳裏に浮かんだ。
「夜中にびっくりしてね。何も手につかない」。再びの深夜の警報に心を痛めていないか心配だった。
「台湾有事」名目の軍事強化、島外避難計画。住民の不安は高まるばかりだ。長濵さんのまぶたには、あの戦争が浮かんでいたのだろうか。13歳のお祝いで食卓を囲んだ日。「空襲警報、発令!」。消防団員の叫び声に母親と2人、畳を立てて震えながら隙間にうずくまった。
長濵さんは戦後「密貿易」で潤った時代のことも話してくれた。沖縄と台湾、中国の歴史をひもとき、人々に話を聞いた連載「東アジアの沖縄」の取材で実感したのは、交流で繁栄してきた沖縄の姿と、戦争の傷をひきずりながら平和を望む同じ思いだ。
取材後、他界された台湾の元学徒で白色テロを経験した蔡焜霖(つぁいくんりん)さん=享年92=からは「住民の命や人権を奪い取ろうとする国家権力にあらがう共通の思いが分かってきた。交流と協力の輪を広げたい」とメールをもらっていた。
沖縄の思いは孤立していない。歴史を掘り未来を見つめ、思いを広げていこう。“かつて来た道には行かせない”という沖縄戦体験者らの声に導かれているような気がする。