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2人の「安里幸男」さん、ご対面 「バスケ」と「陶芸」で活躍 北中城とうるま 沖縄


2人の「安里幸男」さん、ご対面 「バスケ」と「陶芸」で活躍 北中城とうるま 沖縄 有銘清さん(中央)の仲介により念願の対面を果たした北中城村の安里幸男さん(左)とうるま市の安里幸男さん(右)=7月31日、北中城村中央公民館
この記事を書いた人 Avatar photo 玉城 文

 【中部】2人の安里幸男さん、ついにご対面-。それぞれの道で活躍し、名を上げた2人の安里さんが7月31日、念願の対面を果たした。一人は陶芸や詩吟、地域活動で名を上げ、片や一人は高校バスケットボールで旋風を巻き起こした名伯楽。「やっと会えた」。2人は強く握手を交わし、互いの「それは別の安里さん話」に花を咲かせた。

 北中城村の安里幸男さん(84)は県外企業を退職し、北中城村に移住。それから詩吟や陶芸、オカリナなど、多趣味に第二の人生を謳歌(おうか)している。特に陶芸では2度の沖展入選を果たし、シーサー像がイオンモール沖縄ライカムに飾られるなど評価を受けてきた。その傍らで社会活動にも尽力。保護司を長年務め、2016年に藍綬褒章を授与された。

イオンモール沖縄ライカムで鎮座する北中城の安里さん制作のシーサー

 うるま市の安里幸男さん(70)は沖縄バスケ界では言わずと知れた人物。1978年のインターハイで小柄のチームを3位に導く「辺土名旋風」を巻き起こした。その辣腕(らつわん)ぶりが漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」の登場人物のモデルになったともいわれている。

 そんな2人が互いの存在を知るようになったのは数年前。北中城の安里さんへの1本の電話が始まりだった。「自分の息子を北谷高のバスケ部に入れてください」。熱のこもった母親からの直談判だった。「はて、バスケなど縁遠いが」。調べてみると、バスケ界で輝くもう一人の安里さんだった。スラムダンクが大ヒットすると「世間はもう一人の話ばかり」。ネットで名前を入力すると「バスケ」「辺土名旋風」が上位に出て、自身の情報はなかなか出てこなかったという。

沖縄バスケット界を長年けん引してきた安里幸男さん

 一方のうるまの安里さんも頭をひねることが増えていた。「先生、シーサー見たよ」「ライカムとか公民館に贈ってるの?」。このような声かけが頻繁になり「もう煩わしくて、否定しなくなったよ」と苦笑いを浮かべた。

 今回、共通の知人である有銘清さん(72)の計らいにより、ついに対面を果たした。北中城の安里さんからは、娘さんの新築祝いにとシーサー像も贈られた。「互いに何かあれば、駆け付けよう」と固い約束を交わした2人。記者の「3人目の幸男さんが出てきたら、どうしますか」の問いに、2人は顔を見合わせて話に花を咲かせていた。

  (玉城文)