【最初から読む】民意「諦めないで」 宍道湖の淡水化、住民が止める 島根からの訴え
中海・宍道湖の事業を巡っては当初から「コメが有り余るのに、大金をかけて国際観光資源をぶちこわす愚挙」という意見が出ていた。事業目的を失っても軌道修正できない。その経緯は、建設の合理性が崩れても、巨額の税金を投じて、国際的に重要な海域を埋め立てようとする辺野古新基地建設と重なる。
島根でも、反対運動の持続には苦労した。
1970年代に青年会議所のメンバーが動き出したときには、保守的な風土の有力者から「おまえたちは行政のやることに反対するのか」と押しつぶされた。渋々、漁業補償を結んだ漁協も沈黙を強いられてきた。
しかし「淡水化で水質は浄化する」と説明していた国に対し、学界から水質悪化を指摘する研究が続いた。島根大で経済学を教えていた保母(ほぼ)武彦さんも、事業が地域経済に与える影響を「年間38億円の所得減少」と試算。国の説明を崩す学問が、漁民や地域の住民を動かしていった。
「圧倒的多数の世論があれば勝てる」
82年に「宍道湖の水を守る会」を立ち上げた保母さんが心がけたのは、住民の生活との接点をつないでいくことだ。
「島根では竹下登さんなどの自民党の有力政治家がずらっと並んでいて、『○○反対』で多数になることは難しい。将来の地域をどうするかという夢を共有した」
「泳げる湖をつくろう」のスローガンを掲げたり、「親水権」を提唱したりして、事業賛成派も入れた会議を何度も開く。自治会の集まりに足を運び、勉強会を重ねた。「安心感を出すため」に多党派の運動にし、環境問題に関心のある自民党国会議員にも働きかけた。
88年の事業凍結後、「延長戦」があった。竹下氏に支援された島根県知事が96年、国に干拓再開を求めたからだ。しかし、地域に根付いた反対の民意は揺るがず、公共事業見直しの流れに乗る。事業開始40年目の2002年、中止が正式決定された。
住民が守り抜いた宍道湖。保母さんは「シジミの漁獲高は全国1位で漁師の収入が安定し、観光面でも国内外の人気を集めている」とほほえむ。
一方、新基地建設は、学者も口をつぐみがちになる日米安全保障がかかわる。島根の教訓をどう生かせるのだろうか。
「安保の考え方にかかわらず、環境問題は人間が生活する上での基本で、味方をつくりやすい。国は交付金や補助金で分断を図ろうとするが、地域の資源や誇りを生かした、地域の将来像に関する共同の世論をつくることが大切だ。文化団体や女性の力も大きい」
今回の代執行に、現在の日本政治の「不毛」を感じる保母さんは運動当時、自民党の鯨岡兵輔・元環境庁長官からもらった手紙の文面を紹介した。農林水産大臣との面会を仲介し、事業凍結の道筋をつくった一人だ。
「わが国の政治は地方自治の本旨に基づいておりますので、地方住民の方の意向は大幅にこれを取り入れなければならないのは当然のことです」「地方住民の要望が中央政府として、どうしても採用できないと言うのであれば、その理由は住民の納得のいくものでなければなりません。即ち、住民の将来のためにそうする以外に方法がないという場合のみにこれは限られると思います」
(南彰)