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「砂川事件」めぐる裁判、元被告の請求を棄却 東京地裁 元最高裁長官と米側の面会、違法性を否定 


「砂川事件」めぐる裁判、元被告の請求を棄却 東京地裁 元最高裁長官と米側の面会、違法性を否定  一審判決後に報告集会で思いを語る土屋源太郎さん(右から2人目)=15日、千代田区の衆院第二議員会館
この記事を書いた人 Avatar photo 安里 洋輔

 1957年、米軍立川基地(旧東京都砂川町)の拡張に反対するデモで基地内へ立ち入って起訴され、最高裁判所で有罪が確定した「砂川事件」の元被告ら3人が、59年の最高裁判決前に当時の最高裁長官が米国側に評議の状況を伝え、公平な裁判を受ける権利が侵害されたとして国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁(小池あゆみ裁判長)は15日、請求を棄却した。

 小池裁判長は、最高裁長官と当時の駐日米国大使が面会し、事件の裁判の見通しなどを伝えていたことが米公文書で明らかになった点について、「事実がいずれも認められる」と判示した。

 ただ、長官が米国側に「具体的な評議の内容や、予測される判決内容などの情報まで伝えていたとは認められない」と指摘。公平性を侵害する特段の事情はないとして違法性を否定した。

 訴えていたのは、刑事特別法違反罪で有罪となった元被告の土屋源太郎さん(89)ら3人。判決後に東京都内で記者会見した土屋さんは、「こんな不当な判決は許されない。誰が考えても、こんな不公平な裁判はない」と憤り、控訴する意向を示した。最高裁は59年12月、3人を無罪とした同3月の一審判決を破棄。有罪が確定した。

 原告側は、当時の田中耕太郎長官が評議の状況を米国側に伝え、憲法が保障する公平な裁判を受ける権利が侵害されたと主張していた。

 判決では、2008~13年に発見された米公文書の内容が事実認定された。文書には、田中長官と面会した駐日大使が、「(下級審の判決が)覆されるだろうと感じている印象を受けた」などと記されていた。

 一方、田中長官と米側が、「審理や評議の進め方について打ち合わせをしていたとまでは推認できない」とも指摘。「裁判官は、裁判や裁判所に対する国民の信頼を損なうことがないように、慎重に行動すべき」としたものの、判決前に米国側と接触した田中長官の行為については「職務を超えた行為をしたことはうかがわれない」とした。

 (安里洋輔)

砂川事件 1957年7月に東京都砂川町(現立川市)の米軍基地に立ち入ったとして、デモの参加者7人が刑事特別法違反の罪に問われた。東京地裁は59年3月、駐留米軍は憲法9条が禁じた「戦力」に当たるとして全員に無罪を言い渡した。検察側は高裁へ控訴せず最高裁に直接上告。最高裁は59年12月、駐留米軍は憲法に違反せず、安保条約は「司法審査権の範囲外」と判断して一審判決を破棄、差し戻した。