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「人民」の自己決定権 「共通の苦しみ」根拠 琉球・沖縄の人々にも 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>12


「人民」の自己決定権 「共通の苦しみ」根拠 琉球・沖縄の人々にも 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>12 名護市辺野古の新基地建設工事で海に石材を投入するパワーショベル=12日、名護市大浦湾
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 昨年末から年明けにかけて、“沖縄の自己決定権”について改めて考えさせられる機会が続いた。名護市辺野古の埋め立て工事に必要な設計変更を国が県に代わって承認するための「代執行訴訟」で沖縄県側が敗訴し手続きが進められ、それに基づく辺野古沖・大浦湾側へ石材の投入も開始された。

 代執行訴訟の争点の一つは、県が計画変更申請を承認しないことが公益を害するか、という点だった。玉城デニー知事は意見陳述で、「何が沖縄県民にとっての公益であるかの判断は、国が押し付けるものでなく、まさに沖縄県民が示す明確な民意こそが公益とされなければなりません」と訴えた。だが、福岡高裁那覇支部は「法律論としては、ここでいう『公益』とは法定受託事務にかかる法令違反等を放置することによって害される公益」であり、沖縄県が主張する民意が考慮されるわけではない、とした。

 地方自治体と国とが対立した時に、国側が簡単に自らの政策を押し付けられるという結果になったこと、そして国内司法に訴えても表面的な手続き論と法律論によって沖縄の民意が公益と認められることはなく、何の救済も得られないという状況は、沖縄の人々に自己決定権を蔑(ないがし)ろにされていると感じさせるものではないだろうか。

 実際、斉藤鉄夫国土交通相が地方自治法では初となる代執行を行なった翌日、琉球新報は1面の特別評論「不条理 負けてはならぬ」において、国際人権規約の「人民(peoples)は自己決定権を持っている」という条文に基づき「沖縄の人々の手中に自己決定権がある」と述べ、「代執行を目の当たりにした今、沖縄の人々と共に自己決定権への追求を強め、国内世論だけでなく国際世論を動かさなければならない」と呼びかけた。さらに、1月8日に琉球新報ホールで開催された「第1回人間の安全保障フォーラム」に登壇した玉城知事も、佐藤優氏との対談の中で「自己決定権はどの人民も当たり前に有している」と語った。

 今回は、まさに特別評論や知事の発言で触れられている「人民が有している自己決定権」について、近年の状況も踏まえて論じたい。

 「すべての人民が自己決定権を有している」という条文は、国際人権法の中で特に重要な人権条約である自由権規約と社会権規約に共通して記されている。両規約の第1条は「すべての人民は、自決の権利(自己決定権)を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及(およ)び文化的発展を自由に追求する」と書かれているのだ。

 もともと、この条文にある「人民」は、「一つの国に住んでいる人全体」や「植民地に住む人全体」などを意味しているという解釈が一般的だった。しかし、脱植民地化の文脈とは異なる自己決定権が国際法上の新たな課題になっていくのにあわせて、人民の解釈にも変化が表れてくる。

 例えば、国際司法裁判所は2004年に「パレスチナの壁事件における勧告的意見」で、狭義の植民地的文脈の枠外にある「パレスチナ人民」の自己決定権を認めている。また、カナダの連邦最高裁は1998年に「ケベックの分離に関する勧告的意見」で、人民は「既存の国家の住民の一部」である可能性があると述べている。国際法において何が「人民」を構成するか明確な定義がない中でも、国家の中の特定の集団を「人民」として認めるような議論も積み上がってきていると言える。

 どのような集団が自己決定権を有する「人民」なのか、そして、琉球・沖縄の人々が「人民」に相当するのかを考えるにあたり、筆者が特に注目してきたのは、国際司法裁判所のカンサード・トリンダージ判事が2010年の「コソボ独立宣言の国際法上の合法性事件」の個別意見の中で新たに提案した「共通の苦しみ(common suffering)」という要素だ。

 本連載では昨年6月にも触れたが、トリンダージは自己決定の原則は植民地支配だけでなく「制度的抑圧、征服、および圧政という新しい状況にも適用される」と述べ、歴史的・法的・文化的・言語的な独自性に加え、コソボの人々が有している「共通の苦しみ」が生む強いアイデンティティーに着目したのだ。

 琉球・沖縄の歴史と現状はまさに「共通の苦しみ」に当てはまると筆者は考える。1872年に明治天皇が琉球国王を「琉球藩王」に冊封して以来、琉球・沖縄の独自性は、日本の同化政策のターゲットとされて、文化や言語が奪われてきた。太平洋戦争末期には米軍による本土侵攻の防波堤として凄惨(せいさん)な地上戦の舞台になり、多くの県民の命が奪われた。その中には地元のことばを話したことでスパイ扱いされ、日本兵によって殺された人もいた。

 先週、民放のバラエティー番組の中で「沖縄県出身の女優に沖縄弁(このことば自体適切ではないが)を禁止して記者会見をさせる」という企画が放送されたが、日本語を強制され、方言札によって自らの言語を禁止される痛みは個人の経験を超え沖縄の人々が集団として共有している痛みであるように思う。

 そして「沖縄返還」から半世紀以上が過ぎた現在も、県民投票で示された「辺野古の埋め立て反対」の民意が顧みられることなく、代執行という強制的な手段で埋め立てが強行されたことも、沖縄の人々の「共通の苦しみ」を深めるものであり、人民としての自己決定権の主張にさらなる根拠を与えるものになったのではないだろうか。

 (琉球大学客員研究員)
 (第4金曜掲載)