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仕事で限界、先が見えず不安に 高橋さんの視界が広がった「あき社長」からの言葉とは? <雨のち晴れ>第2部「かさ屋」の下で(5)


仕事で限界、先が見えず不安に 高橋さんの視界が広がった「あき社長」からの言葉とは? <雨のち晴れ>第2部「かさ屋」の下で(5) 玉城あきさん(右)とともにカウンターで笑顔を見せる高橋亜衣さん=2023年12月28日夜、那覇市松山(小川昌宏撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 吉田 早希

 「うちでバイトしませんか?」―。昨年6月初め、SNSで寄せられたこのメッセージが、那覇市松山の飲食店「琉球かさ屋」で働く高橋亜衣さん(32)=沖縄市=のターニングポイントになった。送り主はあき社長こと、店代表の玉城あきさん(39)=宜野湾市。高橋さんが、勤めていたキャバクラ店の退職をインスタグラムで報告すると「すぐにあき社長からメッセージが飛んできました」。

高橋亜衣さんがSNSで退職を報告すると、玉城あきさんがすぐにメッセージを寄せた(提供)

 長野県で生まれ、7歳まで愛知県で育った高橋さん。小学1年の頃に両親が離婚し、母親の出身地である沖縄に姉と弟と家族4人で引っ越した。目まぐるしい環境の変化についていけず、小学3年になると学校から足が遠のいた。中学も不登校で、卒業する日に初めて制服に袖を通し、校長室で卒業証書を受け取り、花道をくぐった。

 6年ほど引きこもりだったことに焦る気持ちもあり、中学卒業後はハウスクリーニングを営んでいた祖父母を手伝い、家の外に出るようになった。手に職を付けようとハローワークや職業訓練所に通った。幼い頃からロックなどの音楽が好きで、20歳からライブハウスで働き始めると、主にチケット販売やバーテンダーをこなし、人と接する機会は増えた。

 だが収入は少なく、姉の紹介で21歳から週1~2回キャバクラで働いた。「初めはお小遣い稼ぎのような感覚」で、25歳以降は本格的に夜の仕事1本になった。

 コミュニケーションに苦手意識があり、人間関係などの悩みから、10代は自傷行為を繰り返した。お金を稼ぐようになった20代は市販薬を買い、過剰摂取に走ったこともあった。

 「夜の仕事は楽しいこともあったが、大変なことも多かった」。客から連絡が入れば休日でも急いで出勤した。酒は最初からずっと苦手。勤務後は体が鉛のように重く、次第に体力的な限界も感じた。眠れず情緒不安定になることも多く、昨年5月半ばに体調を崩し、店に退職を申し出た。「これからどうしよう」と、先の見えない不安が幾度となく頭をよぎった。

 インスタグラムのストーリー機能で退職を報告し、1時間後に玉城さんからメッセージが来た。勤めていた店に玉城さんが遊びに来たのが初対面で、第一印象は明るくパワフルなお姉さん。メッセージをもらった数日後に会い、体調のことや不安を打ち明けた。

 「人生は持久戦。時には休みながら、一番大事なのは続けることだよ」。玉城さんの言葉で、霧が晴れたように視界が広がった。「私の人生はここで終わりじゃなくて、この先も続くんだ、と。新しい環境で挑戦したいと思った」

 (吉田早希)