「沖縄戦の記憶継承プロジェクト―戦争をしない/させないために」(同プロジェクト実行委員会主催)の第2期6回目講座が24日、那覇市泉崎の琉球新報社で開かれた。当時15歳で、県立第一高等女学校在学中に沖縄戦を経験した翁長安子さん(94)が体験を語った。特設警備隊第223中隊・通称永岡隊に炊事や看護要員として従軍し、首里から本島南部にかけての凄惨(せいさん)な戦場を経験した翁長さんは「命以外に本当に大切なものはない」と反戦の思いを訴えた。約40人が参加した。
1945年2月、翁長さんが住んでいた真和志村(現・那覇市)の住民は大宜味村への疎開を命じられたが、翁長さんは「国の役に立ちたい」と自宅に残り、3月末に郷土部隊の永岡隊に志願した。4月下旬、疎開先から自宅に戻ってきた父親と再会する。「一緒に行こう」と話す父親に対して「お父さんと一緒にいたら非国民になる」と振り切り、その後、二度と会うことはなかった。「父と別れたことは一生後悔が尽きない」と声を詰まらせた。
永岡隊と隠れていた首里の安国寺にある壕は米軍によって爆破された。翁長さんは先発していた永岡隊を目指して南部に向かった。
合流した翁長さんは、もともと安国寺の住職で永岡隊の隊長だった永岡敬淳さんから「生き残ってくれ。そしてこんな戦があったと語り伝えてくれ」と言われ、6月22日に米軍に保護された。
収容所での生活の後、真和志村民は摩文仁に移動させられたが、遺骨が雨ざらしのまま放置されていたという。心を痛めた村民は、遺骨を収集し「魂魄の塔」を建立した。翁長さんは「幼い子どもの骨を拾う時は、とてもつらかった」と振り返る。
どんな目的があっても戦争は絶対にやってはいけないとし「生きている間、話ができる間はやり続ける。自分のしたような経験を二度と誰にもさせたくない」と力を込めた。
(玉寄光太)