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姉、戦場で息絶える 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>14


姉、戦場で息絶える 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>14 現在の糸満市摩文仁の集落
この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社

 真壁村(現糸満市)伊敷から摩文仁村(現糸満市)摩文仁へ向かっていた大城勇一さん(91)=宜野湾市=の姉、菊さんが突然倒れます。母のジラーさんが水を飲ませようとしましたが、水筒は空になっていました。その時、米軍の攻撃を受けます。

 《両親が介抱している最中、突然摩文仁の丘からダダダッと機関銃の銃弾が足元に飛んできた。われわれ家族はクモの子を散らすように近くのアダンの茂みに逃げ込んだ。菊をかまう時間などなかった。

 しばらくして父は「菊の様子を見てくる」と言って母と2人で出掛けていった。父母は帰ってきて「死んでしまった」と私たち子どもに報告した。》

 ジラーさんは菊さんが亡くなった場所に向かって「菊よ、いま戦争の世の中だから、どうか諦めてくれ。かえってあなたは幸せかもしれない。私たちはこの先、どうなるかも分からない」と語り掛け、手を合わせたといいます。

 菊さんを埋葬した後、家族は摩文仁に向かいます。糸満市の「平和の礎」に関する県のデータによると、菊さんが亡くなったのは1945年5月20日です。当時、18歳でした。

 摩文仁の集落にたどりついた家族は激しい米軍の砲撃に襲われます。

 《絶体絶命の窮地で、家族皆、民家の石垣にへばりつき、もうこれでおしまいと観念していた。誰一人傷を負わなかったのは奇跡としか言いようがない。》