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日本兵に壕を出される 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>13


日本兵に壕を出される 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>13 現在の糸満市伊敷の集落
この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社

 大城勇一さん(91)=宜野湾市=の家族らは1945年5月中旬から下旬にかけて、東風平村(現八重瀬町)富盛の集落を出て真壁村(現糸満市)の集落を転々とした後、お墓として使われていた伊敷集落の壕に隠れていました。

 その頃から敗残兵らしき日本兵の姿を目撃します。

 《日本兵が敗退するにつれ、原隊を離れて行動する敗残兵が目立つようになった。ある日、1人の日本兵がわれわれの前に現れ、「この壕は日本軍が使うからすぐ出て行くように」と言われた。

 上官からの伝達ではなく、自分が入りたいためだということは言動から察しがついたが、ここにいても危ないと判断し、出て行った。しかし、伊敷に住んでいた2人はここを離れようとしなかった。》

 いとこの親類だった2人はこの地で亡くなりました。「糸満市史 戦時資料・下巻」(糸満市教育委員会、1998年)によると6月中旬から伊敷周辺で戦闘が激化します。

 家族は摩文仁を目指します。途中で多くの日本兵の死体を見ました。その頃、姉の菊さんは体調を崩します。

 《姉はしきりにつばを吐き出していた。キビ畑の近くに来たとき、「キビが欲しい」と母親に言ったら、母親は「ここは一体どこだと思っているんだ」と叱った。しばらく歩いたかと思うと、姉はよろけだし、へなへなと座り込むようにして倒れた。》