「風化してもらった方がいい。それで福島の魚を普通に食べてもらえるなら」。福島県いわき市小名浜で水産加工を営む上野台優さん(48)は正直に胸の内を明かす。魅力と誇り、そして自信がある「常磐もの」の販路拡大に力を入れている。その中で福島第1原発の事故、その後の処理水放出は「もう前には戻れないんだな」と思わせる出来事だから。
13年前の2011年3月11日、海岸近くにあった家と工場が津波にのまれて全壊した。断水や停電が続き懸命な復旧作業が行われた中で、4月に最大震度6弱の地震がいわき市を襲った。祖父の代から続く創業50年の「上野台豊商店」の2代目を務めていた母が心労で立ち行かなくなり、同年、3代目を継いだ。「どうにかして、この魅力あるいわきの魚を届け続けるとの強い思いが膨らんでいた」
一方、原発事故による漁の制限で水揚げ量は大幅に減少、風評被害がつきまとった。漁師の後継者不足が深刻化していたこともあり、港町の小名浜の存続に対する危機感は大きかった。
「現状を打破するには手に取ってもらえる商品を生み出し続けなければならない」との思いから、地域の料理人や管理栄養士らと協力し、新たな商品やレシピの開発に奔走した。SNSでの情報発信にも力を入れた。課題は県外への流通だった。県内分と県外分が半々の流通量だった震災前と比べ、震災後は県内が9割を占めるようになった。「漁獲量の減少もあるが、産地のブランド力が足りていないことも事実だから」と冷静に見る。
消費者も増えていった中で始まった23年8月からの処理水放出。「正直、がっかりした。消費者はどう捉えるのだろうかとの不安もあった」。販路拡大に向けて、さまざまなイベントに参加する中、東京電力の社員と出合う機会も少なくない。顔を合わす度に頭を下げられるのは複雑な心境だという。東電という組織としては加害者だという思いはあるが、現場で出会う社員は同じ苦労を背負う県民だという気持ちもある。
地震と津波、原発事故、そして処理水放出。「そこから復興したとはもちろん言えない」と言い切る。ただ「これからも港町小名浜と生きるのだから下ばかりを向くわけにはいかない。自分たちで動かなきゃ」。地元の魅力を届けるために、今日も知恵を絞る。
(新垣若菜)