琉球王国時代に、木材調達のため管理されていた「杣山(そまやま)」の環境が、沖縄市倉敷の米軍嘉手納弾薬庫知花地区に色濃く残っている可能性が高いことが、11日までに市立郷土博物館の調査で分かった。
弾薬庫地区に米軍牧港補給地区の倉庫群の一部などが移設予定であることを受けて調査し、杣山制度で計画的に植えられたとみられるイヌマキなどが見つかった。同博物館などによると、琉球王国時代から続いた杣山の環境が今も残る場所は他に確認できていない。杣山の歴史を知る上で貴重な場所となりそうだ。
見つかったイヌマキは直径45センチ余で樹齢は200年を超え、県内最古級とみられる。米軍牧港補給地区の倉庫群などの移設予定地と重なる。市教育委員会は調査結果を受け、2023年8月に同土地の環境の保全を求める要請を沖縄防衛局に提出した。11日までに回答は届いていない。
市立郷土博物館は22年から23年にかけて、弾薬庫内の森林地帯を調査した。イヌマキに加え、クスノキやセンダンなど杣山制度で推奨されていた樹種を見つけた。弾薬庫地区の一帯が琉球王国時代に越来間切の杣山だったことは、市大工廻の郷友会誌などでも確認した。
杣山は1890年ごろからの開墾や土地整理法でほとんどが消失し、沖縄戦や戦後の木材消費などで当時の植生の環境をそのまま残す杣山は、県内にはなくなったと考えられている。イヌマキはしまくとぅばでチャーギと呼ばれ、首里城の建築資材として使われていた。
調査結果をまとめる作業は継続している。調査を担当する同博物館の縄田雅重文化財係長は「琉球王国時代から戦前、戦後と山をどう利用してきたのかを調べられる場所という面でも貴重だ」と保存の意義を示した。
調査結果は、同博物館で7月7日まで開催中の「新収蔵品展」で紹介されている。
杣山 琉球王国時代に木材を調達するため、山奉行らの監督の下で整備された山。明治期に杣山制度は廃止され、民間地などに変わった。琉球の宰相・蔡温は杣山における林業の方法などをまとめ、後に沖縄県が「林政八書」と題した書物に記した。
(福田修平)