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【動画あり】家訓は「お茶は2回飲め」 戦争の記憶、次世代に…Anlyが発信し続ける“愛”


【動画あり】家訓は「お茶は2回飲め」 戦争の記憶、次世代に…Anlyが発信し続ける“愛” 2024年に行った「いめんしょりツアー」で歌うAnlyさん(撮影:名城文夫)
この記事を書いた人 Avatar photo 宮沢 之祐

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 6月、沖縄は祈りの季節を迎える。民間人を含めて約20万人の命が奪われた沖縄戦。日本軍の組織的戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」には、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

 歌手Anlyさんの故郷・伊江島もかつて、苛烈な戦闘が繰り広げられた。

沖縄本島への侵攻軍を援護するため、米海軍機が沖縄本島周辺にある全離島の標的を炎上させている様子=1945年4月4日、伊江島(県公文書館所蔵)

 上陸した米軍に、日本軍は住民も交えた自爆攻撃で対抗。県史によると、日本側の死者は、村民約1500人を含む4794人に達したという。戦後は米軍による強制接収で土地を奪われ、今も米軍の訓練場や滑走路が面積の35%を占める。わずか1周22キロの小さな島は「沖縄の縮図」と形容される。

「戦争が始まるの?」不安で母に何度も


Anlyさんが思い出す慰霊の日の光景は例えば、小学校の廊下に貼り出された戦場の写真だ。焼け焦げた土地や戦車、死体の写真もあった。

 「廊下を通るのが怖かった。戦争は怖い。そう植え付けられた」

4歳のとき保育所の運動会でエイサーを踊るAnlyさん(提供)

 平和学習がある6月は不安になった。「戦争が始まるんじゃない?」と母に何回も尋ね、「始まらんて!」としかられた。

 島にはガマと呼ばれる自然壕(洞窟)が多数あり、住民の避難場所になった。その一つ、「アハシャガマ」では住民の「集団自決」(集団強制死)が起きた。

 Anlyさんはガマに入れないという。「胸騒ぎがして、何が起きたか、見えるぐらいに感じる」。平和学習で訪ねたときも足が止まった。

 ガマに入ることができない分、戦争体験者の証言集を読むようにしているという。「読まないといけないと思う」と言い切る。

多くの人が犠牲となった「アハシャガマ」=2020年撮影

 最近、896ページもある証言集を読んだ。偶然、郵便局長だった曽祖父の手記を見つけた。郵便船が爆撃されたため自ら船を買って搬送したこと。従業員11人のうち5人が亡くなり、女性2人も白鉢巻きで切り込み隊に加わったことー。Anlyさんにとって初めて知ることばかりだった。

お茶を飲んだから、助かった命


 祖父母からも家族の戦争体験は聞いたことがない。つらい記憶をえぐりだすようで聞けなかった。ただ、家族の間で語り継がれている大事な「教訓」がある。

 「人の家に行ったらお茶は2回飲みなさい」

 本島に行く予定のあった祖父が、知人の家に寄り、お茶を出されて話がはずんだ。「もう一杯、どうぞ」と勧められ、港へ行くのが遅れた。おかげで九死に一生を得た。

故郷・伊江島での戦争について語るAnlyさん=2024年6月11日、那覇市首里(大城直也撮影)

 その日は1948年8月6日。「伊江島米軍LCT爆発事件」が起きた日だった。戦後、伊江島には米軍の未使用弾が大量に残された。それを海上投棄するため輸送船(LCT)へ積み込んでいたとき、荷崩れが起きて爆発。ちょうど連絡船が入港し、港は多くの人でごった返していた。107人が亡くなった。

 戦争を生き抜き、戦後を生き抜いた人がいる。Anlyさんは言う。「いろいろな奇跡が重なって自分がいる」

迷ったら「山」を目指せばいい


 Anlyさんは母方の祖父がアメリカ人だ。高校時代には生まれつき黒髪でないことを証明する「地毛申請」が必要だった。その校則に反発して作った「MANUAL」の歌詞は、ルーツに対する誇りを映す。

 <あたしの茶色の髪も瞳の色も/背の低さも島の言葉も/ホントに素敵よ/生まれつきの自分が好き>

伊江島のシンボル「城山」の前で写真に収まるAnlyさん=2023年2月(提供)

 Anlyさんにとって「神聖で大事な場所」がある。城(ぐすく)山。伊江島のシンボルで、県民にも「伊江島タッチュー」の愛称で親しまれる標高172メートルの岩山だ。

 「何か大きな仕事をするとき、東京に行くとき、城山でうーとーとぅとする(手を合わせて祈ること)。守ってくださいね、って」

 城山は、島のどこからでも見える。「道に迷ったら城山を目指せばいい」。Anlyさんは物事をポジティブに捉える力がある。たとえ迷っても、帰るべき場所がある。

沖縄戦や平和への思いを語ったAnlyさん=6月11日、那覇市首里(大城直也撮影)

 島の言葉も、クオーターであることも、平和への思いも、自分の大切な個性だ。歌には「Love yourself」のメッセージを込める。あなた自身を愛してみて、と。

 「戦争の証言を読んでいると『国のために死ぬ』とか『捕まるのは恥だから死ぬ』とか出てくる。そんな死はやるせない。自分を愛することで、誰かにやさしくできる。それが少しずつでも平和につながればいいのかな」

 焦土から復興した故郷がいとおしい。「歴史を知ったら復興している姿がもっと輝いて見える。人間ってすごいなぁと思う。同時に、人間って怖いなぁとも思う。戦争で簡単に壊してしまう」

沖縄戦と向き合い制作した楽曲「Alive」のアーティスト写真(提供)

 生まれ育った伊江島には、沖縄には、戦跡や米軍基地が身近にある。なぜだろう。考えてきたし、みんなにも考えてほしいー。Anlyさんの思いだ。

 95歳になった「おばあちゃん」が最近、こんなことを言った。「今は限りなく戦前に近づいている。ものが言えなくなるのは、あっという間だったよ」。それを聞いた時「怖かった」。平和が遠のいているように感じる。私たちの身に何が起きようとしているのか、目を凝らしたい。

(宮沢之祐)