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台湾の「琉球ウミンチュ」足跡追う 資料館の館長、家族らに聞き取り、情報提供も呼びかけ「知ることで交流も」


台湾の「琉球ウミンチュ」足跡追う 資料館の館長、家族らに聞き取り、情報提供も呼びかけ「知ることで交流も」 沖縄の漁師の足跡を追う台湾・基隆の「八斗子漁村文物館」の許焜山館長=10日、那覇市泉崎
この記事を書いた人 Avatar photo 呉俐君

 戦前から復帰直後の1905~75年に台湾北部の基隆に渡った沖縄の漁師「琉球ウミンチュ」の足跡を追う、民俗資料館「八斗子漁村文物館」(基隆市)の許焜山(シュクンサン)館長(68)がこのほど、実地調査で来県した。与那国島や伊是名島などを訪れ、かつて台湾に渡った「ウミンチュ」の家族らを対象に聞き取り調査を実施した。

 許さんによると、1905年ごろ沖縄の漁師らは基隆に渡り、一時期は約560人ほどの集落が基隆の社寮島(現和平島)で形成されたという。沖縄からの漁師らは台湾の地元住民に漁法や漁具、海藻の採り方などを教え、「基隆の発展の土台をつくった」(許さん)ほど貢献していた。

 許さんは海の町・基隆市八斗子で生まれ育ち、父と兄も漁民だった。許さんの兄は50~60年代に宮古島出身の船長と一緒に操業し、カジキの「突きん棒漁」などを習ったほか、日本語も習得していたという。

台湾の民俗資料館「八斗子漁村文物館」=2023年10月、基隆市

 許さん自身も大学に入学する前に漁に出た経験があり、「周りに琉球ウミンチュと関わる人が多かったが、これまできちんと記録されず、とても残念だった」と振り返った。そのため自ら研究に乗り出し、文献収集のほか、2011年ごろから沖縄の漁師の後世らに聞き取り調査も始めた。13年から自費で年2回の季刊誌「東北風」の出版も継続している。

 今回の調査では4~11日に沖縄に滞在した。これまでに石垣や宮古、糸満などを回り、かつて台湾に渡った「琉球ウミンチュ」の家族から話を聞いたりしたが、家族らのほとんどは詳細を知らなかったという。許さんは「(研究は)遅すぎるかもしれないが、台湾にとって重要な歴史だから書き残したい」と話す。「お互いを知ることで交流も生まれるだろう」と願った。調査の結果は季刊誌で報告する。

 今後、漁師が多く渡った伊良部島佐良浜と与那国島、糸満、久高島の4カ所に焦点を絞って研究していくという。情報提供も呼びかけている。連絡は許さんのメールbadouzi557@gmail.com

(呉俐君)