記憶はおぼろげだが、対馬丸に乗り込む姉と兄を那覇の港で見送ったことを後に母から聞いた。80年が過ぎ、那覇市の新垣美恵子さん(83)は慰霊祭に向かう朝、姉と兄のことを思い歌を詠んだ。
「対馬丸兄姉ねむり幾年か悪石の海に光を照らす日は」
対馬丸撃沈で垣花国民学校6年だった姉上原依子さん=当時(12)、同4年生だった兄定(さだむ)さん=同(9)=を亡くした。遺骨や遺品などは今も海底に沈んでいる。いつの日か家族の元に戻ってほしいとの願いを「光を照らす日」という言葉に込めた。
約30年前に88歳で亡くなった母の節子さんは、長く兄と姉のことを語らなかったが、病に倒れたとき初めて思いの丈を口にした。「なぜ対馬丸に乗せてしまったのか」。新垣さんは「閉じ込めてきた痛恨の思いをはき出しているようだった」と感じた。母の苦悩が、胸に刺さった。新垣さんは母の思いを継ぎ、毎年慰霊祭に足を運び続けている。「多くの人々が対馬丸の事件を受け継ぎ、忘れないでほしい」と思いを語った。
(外間愛也)