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「幼い面影忘れない」 軍備強化に危機感も 対馬丸撃沈80年、慰霊祭に遺族が子や孫と参列 


「幼い面影忘れない」 軍備強化に危機感も 対馬丸撃沈80年、慰霊祭に遺族が子や孫と参列  対馬丸慰霊祭で「小桜の塔」に向かって手を合わせる参列者たち=22日午後0時2分、那覇市若狭(小川昌宏撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 学童ら1484人(氏名判明分)が犠牲となった対馬丸撃沈から80年を迎えた22日、慰霊祭が行われた小桜の塔は鎮魂の祈りで包まれた。

 戦争によって引き起こされた対馬丸の悲劇を二度と繰り返さぬよう参列者は惨禍の記憶を継承し、平和のために行動していくことを誓った。同じ日、名護市安和では辺野古新基地建設に向けた土砂搬出作業が再開、新基地建設に反対する市民は機動隊によって排除された。沖縄戦終結から79年、対馬丸の悲劇から80年を迎えた今も沖縄には不条理が横たわる。

 慰霊祭には昨年の倍近い400人余りが参列した。旭ケ丘公園内の小桜の塔での慰霊祭に加え、対馬丸記念館の第2会場で高齢の遺族らが中継の映像を見守った。次世代へつないでいこうと子や孫と追悼する姿も。遺族や戦争体験者は、軍事が強化される今の沖縄を憂い「戦前に戻りつつある」と危機感を募らせた。参加者は汽笛の音に合わせて黙とうした。つしま丸児童合唱団の子どもたちの歌声が響くと、涙をぬぐう姿が見られた。

 わが子を失った悲しみを抱え苦悩を深めた親たちがいなくなり、きょうだいも高齢化している。「102歳で他界した母は直前まで花を供えに来ていた」。その思いを継いで山城美津子さん(82)は息子と足を運んだ。亡くなった一番上の兄は当時小学5年。母と参列した真夜中の洋上慰霊祭で大きく船が揺れる中、服や靴などを子の名を叫びながら遺族らが海に投げ入れた光景は今も目に浮かぶ。母は亡くなるまで船を引き上げてほしいと願い続けた。

 「きょうも来たよ」。翁長林行さん(87)は、亡き兄と姉に心の中で語りかけた。2人の写真は戦後、米軍のテント生活の中、台風でなくなった。小桜の塔に刻まれた名前が生きた証しだ。悲しみを抑え「言葉にならない」と絞り出し、今の軍備増強の動きへの不安を口にした。「また、戦前に帰るのか。次の世代が同じ思いをするのか…」

 対馬丸と同じ船団で熊本県に疎開した高江洲盛朗さん(90)も、先島諸島からの住民の避難は戦時中の疎開に重なるとし、軍事費を大幅に増やし、憲法改正を進める政府の姿勢を危ぶむ。「日本は唯一の被爆国として、核と戦争はあってはならないと国際社会で真っ先に叫んでいくべきだ」

 平和継承プログラムで13~15日に奄美大島を訪れた那覇市立天久小5年の知念由依さん(10)は、現地で当時多くの遺体が漂着した海岸も訪れた。「悲惨な戦争を二度と繰り返さないために、戦争のことや命の尊さを学んでいきたい」と決意を新たにした。

(中村万里子、吉田健一、慶田城七瀬)