米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添西海岸への移設を巡り、浦添市内で記者が100人(うち浦添市民は92人)に賛否を聞くと、反対が賛成の3倍以上あった。辺野古新基地建設と異なり、浦添移設は玉城デニー知事らも容認しているため、政治的に決着していると見られがちだ。しかし、市民は政治が進める「軍民共存」の将来像に納得していない様子がうかがえる。
「一等地を埋め立て、反対」 那覇軍港の移設、浦添市で100人に聞く 環境悪化を危惧<歩く民主主義 100の声>
「なんで日本がお金を出して米軍の軍港を造るのか。庶民はまめまめしく暮らしているのに」
浦添市役所前でバスを待つ年金生活の女性(80)は「市営住宅にも入れない。最近はバス代も上がり、行きは歩きだった」と嘆いた。
日米両国が米軍那覇軍港の浦添西海岸への移設で合意したのは1995年。2000~01年にかけて、移設推進派の翁長雄志氏が那覇市長、儀間光男氏が浦添市長にそれぞれ当選し、国による西海岸開発の振興策とセットで動き出した。
浦添市内の民間業者には、ホテルなどのリゾート開発への期待がある。
不動産業の男性(30)は「雇用が増え、土地の金額が上がるのもいい」。同業の別の30代男性も「浦添が盛り上がるのであれば」。民間開発の西海岸埋め立てには賛成だ。しかし、軍港移設については2人とも「やはり軍事施設が来ると不安だ」と反対を選んだ。
沖縄戦を体験した男性(80)は「結局、何か有事が起きれば、民間部分も軍に使われる。振興策は軍事施設を造るためのあめ玉で、軍民共存はうそだ」とみる。
市民に広がるのは「台湾有事」などの際に軍事施設が狙われるという不安だ。
米軍の訓練場がある伊江島出身のパート女性(40)は「伊江島も有事になると住民もピリピリする。基地による潤いもあるかもしれないが、いざ有事の場合に住民は避難し、遠ざからないといけない。なんで沖縄にいるとそうなるのか」と訴えた。
「いろいろと事件も起きているし、PFAS(有機フッ素化合物)などの問題もある」(清掃業の71歳女性)。相次ぐ米兵による女性暴行事件や水質汚染を念頭にした意見も出た。浦添市内で話を聞いた100人中、32人が軍事への懸念を口にした。
一方、地域活性化への期待を口にしたのは21人にとどまった。かつて米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)の「城下町」として栄えた屋富祖で、自営業をする男性(58)は「浦添はもっと着実な街づくりに力を入れた方がいい。ホテルは那覇にあるから特に必要はないし、ビーチを造っても人は来ないよ。今なら止められる」と話す。城間にいた前城正治さん(77)も「泡瀬干潟や与那原の開発もうまくいっていない」とリゾート開発に懐疑的だ。
ただ、軍港反対を掲げて13年に当選した松本哲治市長が容認に転じ、翁長氏を継いだ玉城デニー知事も容認の立場だ。見直しを後押しする政治の動きが鈍い。
仲間で孫を見送っていた70代男性はつぶやいた。「難しいね。松本市長と反対で動いたけれど動かなかった。孫や子のために心配のない環境を残したいが、手だてがね…」
(南彰)