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【一覧表あり】沖縄の戦争遺跡、地上戦展開で全国最多の206カ所 2割超の52カ所原形なく


【一覧表あり】沖縄の戦争遺跡、地上戦展開で全国最多の206カ所 2割超の52カ所原形なく 第32軍司令部壕の第5坑道=2020年6月30日、那覇市首里(代表撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 吉田 健一

 太平洋戦争における日本軍施設を主とした戦争遺跡について、文化庁による1996年の調査で全国の自治体から報告された642カ所のうち、県内の遺跡は全国最多の206カ所となっている。遺跡数が3桁台は沖縄のみ。そのうち約25%の52カ所が消失、または大部分消失し、原形をとどめていない。

 沖縄戦を指揮した第32軍が本土決戦準備のための「持久戦」を展開したことで住民を巻き込んだ陣地構築が県内の至る所で行われたことや、その後の激しい地上戦により、全国と比べて突出した戦争遺跡の多さとなっている。

 一方、沖縄県立埋蔵文化財センターが1998年から2005年にかけて行った調査の結果、1077カ所を戦争遺跡として特定した。共同通信が今回のアンケート調査の対象とした国内の戦争遺跡642カ所は96年の文化庁調査に基づいており、県調査との総数に開きがある。

沖縄戦時中、実際に使われていた沖縄陸軍病院南風原壕群20号の内部(2019年撮影)

 2024年現在、文化庁調査による県内の戦争遺跡206カ所のうち、半数超の116カ所(56・3%)が現存している。一方、15カ所(7・2%)は「現存していない」(消失)、37カ所(17・9%)が「大半が消失したが一部が残る(大部分消失)」という。さまざまな理由により遺跡の現状が「把握していない」とした回答も38カ所(18・4%)あった。

 文化庁が調査した県内の戦争遺跡は那覇市や浦添市、石垣市など23市町村におよぶ。現存している主な戦争遺跡は、首里城地下に築かれた第32軍司令部壕(那覇市)や戦争遺跡として全国で初めて文化財に指定された沖縄陸軍病院南風原壕群(南風原町)、沖縄戦で住民や敗残兵ら千数百人が避難した「轟の壕」(糸満市)など。

 戦争遺跡が最も多いのは那覇市の74カ所(35・9%)で、次いで糸満市の34カ所(16・5%)、石垣市の29カ所(14・1%)となっている。

(吉田健一)