那覇市首里金城町の市道沿いに生えていた、かつて米軍が切ろうしても切れず、「泣き(鳴き)アカギ」と呼ばれたアカギの木が18日、老朽化のため伐採された。
県平和祈念資料館友の会事務局長の仲村真さんによると、首里金城町出身で2021年に88歳で亡くなった、戦跡ガイドの吉嶺全一さんの話として「戦後、米軍の兵隊がこのアカギをエンジンカッターで切ろうとしたら、刃音が泣いているように聞こえたので、気味が悪くなり、切るのをやめたそうだ。その後から『泣き(鳴き)アカギ』と呼ばれ、恐れて誰も切らないでそのままにしていた」と聞いたという。
市道と歩道、バス停も木をよける形で整備された。那覇市道路管理課によると、アカギは戦前から生えており、樹齢は分からないという。高さは11・6メートル、外周は3・6メートル。市の担当者は「老朽化が進行し、倒れる危険性があったのでやむなく切った」と話した。
沖縄戦で第32軍司令部など軍の中枢が置かれた首里近辺は米軍の激しい空襲にさらされ、木や家屋は吹き飛ばされた。戦後は石ころだけが広がっていたとされる。
吉嶺さんが1950年代後半に撮影したとみられる写真には、戦火をくぐり抜けたアカギの姿が確認できる。沖縄戦で破壊される町や消えゆく命をアカギは見ていたのか―。市の担当者に伐採の際に泣き声を聞いたか尋ねると、「大きな木は拝みをしてから切る。そういうことはなかった」と話した。アカギは裁断され廃棄されたという。
(中村万里子)