沖縄戦を率いた日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句を陸上自衛隊第15旅団がホームページ(HP)に掲げていた問題で、15旅団はホームページを見直す考えを示し、辞世の句の掲載をいったん削除した。ただ、沖縄戦体験者や研究者を中心とする県民から寄せられた批判には向き合っておらず、掲載復活の疑念は消えていない。
15旅団総務課は1日、見直しの理由について、「あくまで今後の師団化を見据えて、地元の理解を得るため。特段、辞世の句について意見があったからではない」と取材に説明した。HPのリニューアル後に再掲する可能性については、「検討中としかお答えできない」と否定しなかった。
15旅団は2018年のHP開設時から、牛島司令官が本土防衛のために沖縄の住民を巻き込む「南部撤退」の命令を決定した実態に触れず、沿革のページに辞世の句を掲載してきた。
今年6月の発覚後、沖縄戦体験者や研究者らが批判。「自衛隊が日本軍と直結した顔をむき出しにしてきており、ものすごい危機感を抱いている」(石原昌家沖縄国際大名誉教授)などと削除要求が相次いだが、15旅団は「問題という認識は今はない」と応じない考えを示してきた。
15旅団を巡っては、04年以降、旅団長らが毎年6月23日の慰霊の日に牛島司令官らを弔う糸満市摩文仁の「黎明(れいめい)之塔」を参拝。22年から確認されていないが、32軍との連続性を批判されてきた。
15旅団は、辞世の句を削除した10月31日、牛島司令官の軍服などを展示してきた那覇駐屯地内の広報資料館のページも「現在リニューアルのため休館中」という表示に変えた。再開後の軍服の扱いも焦点だが、「そこも検討中」(総務課)と明らかにしていない。
自衛隊史に詳しい佐道(さどう)明広中京大教授は、資料館で沖縄戦の経過を案内していたジオラマの問題も指摘する。
「本来は軍事作戦の経緯だけでなく、住民を巻き込んだ沖縄戦の結果がいかに悲惨なものであったかを示さないといけない。戦争が社会にどういう影響を及ぼしたのかを踏まえた歴史教育が必要だが、自衛隊全体で弱くなっている」
(南彰)