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悲惨な光景 幾度も目に 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>12


悲惨な光景 幾度も目に 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>12 現在の八重瀬町富盛から見る八重瀬岳
この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社

 家族4人と共に具志頭村(現八重瀬町)新城を出た大城勇一さん(91)=宜野湾市=の家族は東風平村(現八重瀬町)富盛、八重瀬、真壁村(現糸満市)真栄平、高嶺村(現糸満市)国吉を通って、親類がいる真壁村の伊敷に逃れます。大城さんは幾度も悲惨な光景を目にしました。

 《東風平村富盛の交差点近くで日本兵の死体が累々と横たわり、この世のものとは思えない地獄さながらの光景だった。真っ裸になった大人の男性が風船のように膨れあがり、小柄な少年兵が顔面をえぐられ、道の真ん中であおむけに倒れていた。》

 真栄平の民家の馬小屋で一夜を明かしました。国吉でも至る所で死体を見ました。老いた女性の死体を見つけては、はぐれた祖母ではないかと顔をのぞき込みました。

 母のジラーさんは大城さんを急(せ)かし、伊敷へと急ぎます。

 《振り向いたり、立ち止まったりする私を見て、母親は「おい、早く歩かんか、置き去りにされたいか」と言って私を叱った。

 橋の近くや十字路に差しかかると、「ここは危険な場所だから速く歩け」と言って私をせきたてた。》

 伊敷には、避難行動を共にしていた、いとこの大城エミさんの妹ら2人がいました。この家で一日過ごした後、墓として使われていた壕から骨を取り出し、家族らが足を折り曲げた状態のまま壕内で過ごします。