家族4人と共に具志頭村(現八重瀬町)新城を出た大城勇一さん(91)=宜野湾市=の家族は東風平村(現八重瀬町)富盛、八重瀬、真壁村(現糸満市)真栄平、高嶺村(現糸満市)国吉を通って、親類がいる真壁村の伊敷に逃れます。大城さんは幾度も悲惨な光景を目にしました。
《東風平村富盛の交差点近くで日本兵の死体が累々と横たわり、この世のものとは思えない地獄さながらの光景だった。真っ裸になった大人の男性が風船のように膨れあがり、小柄な少年兵が顔面をえぐられ、道の真ん中であおむけに倒れていた。》
真栄平の民家の馬小屋で一夜を明かしました。国吉でも至る所で死体を見ました。老いた女性の死体を見つけては、はぐれた祖母ではないかと顔をのぞき込みました。
母のジラーさんは大城さんを急(せ)かし、伊敷へと急ぎます。
《振り向いたり、立ち止まったりする私を見て、母親は「おい、早く歩かんか、置き去りにされたいか」と言って私を叱った。
橋の近くや十字路に差しかかると、「ここは危険な場所だから速く歩け」と言って私をせきたてた。》
伊敷には、避難行動を共にしていた、いとこの大城エミさんの妹ら2人がいました。この家で一日過ごした後、墓として使われていた壕から骨を取り出し、家族らが足を折り曲げた状態のまま壕内で過ごします。