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広島原爆の「被爆アオギリ2世」が花咲かす 伊江島わびあいの里 沖縄


広島原爆の「被爆アオギリ2世」が花咲かす 伊江島わびあいの里 沖縄 淡い黄色い花を咲かせた被爆アオギリ二世と一緒に写るわびあいの里の謝花悦子理事長=20日、伊江村のわびあいの里
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【伊江】伊江村の一般財団法人わびあいの里(謝花悦子理事長)の敷地内で、広島原爆の「被爆アオギリ二世」がすくすく成長し、薄い黄色い花を咲かせている。被爆したアオギリの種から育てられたもので、広島市は命あるものを大切にする心を育み、平和の尊さと被爆の実相を後世に伝え、平和を愛する人の輪が広がるようにと、全国の学校や市民団体などに配布している。

 「1993年に広島の被爆体験の語り部、アオギリの語り部として活動していた沼田鈴子さんが伊江島を訪れ、寄贈したと思われる。大事な記念木だ」。伊江村出身で現在、西原町に住む長嶺福信さん(伊江島米軍LCT爆発事件8・6の会事務局)はこう説明する。

 沼田さんは同年、南風原文化センターに被爆アオギリ二世の苗を寄贈しており、この時に伊江島まで来たとみられる。長嶺さんは「伊江島は非核宣言の村でもあり、LCT爆発事件と広島に原爆が投下された日は、年は違うが同じ日だ。遠く離れた二つの地から平和を願いたい」と語る。

 当時わびあいの里のスタッフとして働いていた山城弘子さん=伊江村在住=によると、「その頃は阿波根おじぃ(わびあいの里設立者の阿波根昌鴻さん)がまだ、元気な時で、おじぃと謝花さんで植える場所を決めていた」と語る。謝花理事長は「この木のことは忘れていて気にもとめなかったが、長嶺さんから話を聞き、里を訪れる人の目に付きやすい所にと2人で話し合い、門の真向かいに植え替えた。将来的にも平和の尊さを語り継ぐ木として育っていってほしい」と願いを込めた。

 被爆アオギリ二世の親木は45年8月6日に広島に投下された原子爆弾により、爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられたが、翌年の春、青々と芽を吹き返し、被爆者に生きる希望を与えた。73年に平和記念公園内に移植され、今でも成長を続けている。

 アオギリ二世の配布は、92年に始まり、これまで7600株以上の植樹が国内外で行われたという。

 (知念光江通信員)