月桃の香りに包まれた
首里の名物まんじゅう
首里城近くの龍潭通り沿いに、古くから親しまれてきた山城まんじゅうがある。那覇三大まんじゅうの一つにも数えられ、その歴史は160年以上を誇る。甘さ控えめの小豆あんを薄皮でぎっしりと包んだ商品は、素朴な味わいが人気で、地元を中心に長年の常連客も多い。昔から変わらぬ味は、6代目の山城杏奈さんに引き継がれている。
朝の開店前、「山城まんじゅう」を訪ねると、月桃の香りが漂う作業場で山城杏奈さんと杏奈さんを手伝っている母の大嶺美智代さんが小豆あんを薄皮で包んでいた。小豆を煮詰める作業とまんじゅうを蒸す作業を同時進行しているため、室内には熱気が広がる。暑い時季は汗だくになりながらの作業だ。
無添加の素朴なまんじゅうは全て手作り。粒あんとこしあんのブレンドを小麦粉と水でこねた緩い生地で素早く包み、月桃の葉を敷き詰めた特注の竹の器に並べて蒸し上げる。できたて熱々のまんじゅうを頬張ると、もちもちの皮とほくほくのあんに月桃の風味が加わった程よい甘さが口に広がった。現在は4人で切り盛りし、1日150~200個手作りしている。早い時は午後2時ごろには売り切れてしまうこともあるという。
6代で製法を守る
山城まんじゅうの創業は160年以上前にさかのぼる。沖縄戦で資料が消失したため、創業年は不明ながら、琉球王国最後の王・尚泰(しょうたい)が食したという記録も見つかっている。
代々受け継がれてきたが、4代目の伊波オトさんの体調不良や道路の拡幅工事などが重なり数年間休業し、継続が危ぶまれたこともあった。それでも、復活を願う伊波さんの家族や常連客からの要望もあり、親戚の山城富士子さんが2008年に5代目として引き継いだ。
6代目の山城杏奈さんは、富士子さんの息子・秀史さんの妻。妊娠・出産を経て本格的に始動して2年目になる。義母と夫からまんじゅうの作り方を学び、習得は早かったが、スランプも経験した。生地やあんの水分量が多すぎると、蒸し上がったまんじゅうの皮が破裂してしまう。失敗して落ち込んだ日々もあったが、今は安定して商品が作れるようになった。
あんを包む生地は緩く手につきやすいので、素早く成形していく
新しい取り組みも展開
「唯一無二の仕事だと思っているので、最初は自分でいいのかと不安もありましたが、義理の両親が『継いでくれたらうれしい』と言ってくれ、ありがたいという気持ちでやっています」とほほ笑む。夫の秀史さんは月桃の葉の収穫やイベント出店など、サポートをしている。
4代目の時代を知る客が今も来てくれ、当時の話をしてくれるのもうれしい。「そうそうこの味」「変わらないね」「昔を思い出す」……。そんな声を聞くと「やっていて良かったと思うし、うれしい気持ちとやる気につながります」と話す。
新たな取り組みも展開している。コロナ禍のタイミングで、出来立てを真空パックにした冷凍商品の販売も開始。家庭で出来立ての食感を再現できるようになった。SNSでの発信や県内外のイベントなどの出店も行い、観光客や新規の客、若い年齢層も増え始めていると実感している。
「昔の人が作っていたものを今も変わらず作っているというのが不思議な感覚。でも、自分が携われていることがうれしいです。後の世代につないでいければ」と意気込む。変わらぬ味は今もここにある。
(坂本永通子)
(2024年8月15日付 週刊レキオ掲載)