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パリ五輪女子バレー、支えた2人の沖縄出身者 「戦える」から「勝てる」へ、チームと駆け抜けた2年間


パリ五輪女子バレー、支えた2人の沖縄出身者 「戦える」から「勝てる」へ、チームと駆け抜けた2年間 ディフェンスコーチの徳元幸人さん(左)とパフォーマンスアナリストの上原伸之介さん=4日、パリ郊外のオリンピック選手村
この記事を書いた人 Avatar photo 古川 峻

 パリ五輪で惜しくも予選敗退した日本女子バレーボール選手を支えた2人の沖縄県出身者がいる。

 恩納村出身でディフェンスコーチの徳元幸人さん(47)=広島県=と、那覇市出身でパフォーマンスアナリストの上原伸之介さん(38)=佐賀県=だ。ともに2022年4月から日本代表スタッフに加わり、目標だったパリ五輪へチームを支えた。「オリンピックのベンチに2人の沖縄出身者がいたことが誇らしい」と胸を張った。

 沖縄の石川高校を卒業した徳元さんは中央大を経て、JTサンダーズでプレーした。現役引退後、JTなどのコーチやスカウトを経て、今回初めて女子選手のコーチを務めた。「未知の世界だった」と笑うが、慣れるにつれて指導にも熱がこもった。日本は五輪出場チームの中で最も平均身長が低いが、「拾って拾って守り勝つ」スタイルを実現するため、ポジショニングを徹底してきた。一方で「違うと思えば自分で考えて打て」と自由なプレーも尊重した。「技術はある。体格で劣っても戦えることを教えたかった」と話す。

 那覇西高バレー部出身の上原さんは「大好きなバレーを仕事にしたい」と東亜大3年の時にアナリストを志した。4年生の時に亡くなった父の武伸さんも背中を押してくれたといい、2012年のロンドン五輪でも女子のアナリストを務めた。パリ五輪はより密に選手と関わる立場に。試合中にコートエンドに座り、相手の打つコースなど状況の変化を分析し、徳元さんらに伝えた。「選手に伝わりやすいように情報を咀嚼(そしゃく)する。熱くなりそうな感情をコントロールしながら、チームで一体感を持つことを心掛けた」と振り返る。

 2人とも、22年の世界選手権で東京五輪銀メダルのブラジルに勝利した試合が印象に残っているという。徳元さんは「『戦える』から『勝てる』という意識に変わった」、上原さんは「気持ちが一つになった試合だった」と語る。これがターニングポイントになり、五輪出場につながったという。

 パリ五輪を終えて徳元さんは「不思議な感覚。これで代表コーチは退くだろうが、チャンスがあればまたどこかでコーチをやりたい」と笑顔を見せ、上原さんは「バレーに出合えて良かったと思えた。また五輪の舞台に戻ってきたい」と新たな夢を掲げた。 

(古川峻)