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宮本 亡き母へのメダル届かず 家族・仲間の応援糧に成長


宮本 亡き母へのメダル届かず 家族・仲間の応援糧に成長 宮本昌典の応援に駆けつけた(右から)父・裕仁さんと宮城円嘉手納高監督、競技仲間の仲村理奈さん=8日、パリ
この記事を書いた人 Avatar photo 古川 峻

 宮本昌典は試合前後、東京五輪後に肺がんで亡くなった那覇市出身の母、由美子さん=享年61=の形見の指輪をはめていた。宮本が嫌いな蛇がデザインされた指輪から「パワーをもらった」。パリ五輪のためにパスポートを取っていた母を一心に思い、メダルを目指したが、「届かなかったのが悔しい」

 だが空回りした東京五輪と異なり、今回は試合合間にカメラにピースしたり、試技失敗にも苦笑いを見せたりリラックスしていた。舞台裏で「できる、できる」と気を吐き、周囲の平良真理女子監督らを引き込んだ。「メンタル面は成長できた」。周囲の期待を力に変えてきた。

 松川小6年の時、シドニー五輪代表の平良真理女子監督と家族で食事する機会があり、競技に誘われた。レスリング指導者の父の裕仁さん(64)=那覇市=は「来てと言われた時、ニヤッとしていた。スパルタでレスリングを教えていたからラッキーだと思ったんだろう」と懐かしそうに語る。

 翌日から近所の沖縄工高に通い、平良監督に教えを受けた。当時、沖縄工高生だった宮城円嘉手納高監督=沖縄市=は「授業が終わるとすでに練習場に昌典がいた。生意気だけどかわいくて」と述懐する。「最後になるかもしれないと思ったが、競技を続ける限り応援したい」とパリ五輪も現地でエールを送った。

 五輪レースで大会ごとにセコンドに付いた平良監督は、宮本の頼みで頬を1回、肩を2回たたいてプラットフォームに送り出した。宮本の最後の試技が失敗に終わった時、拍手を送った。「重圧もあり一日一日の戦いが並大抵ではなかったと思う。お疲れさま」とねぎらった。

 裕仁さんは、由美子さんの遺影と寄せ書きされた国旗を持って現地で応援した。「体調がよくない中でよく勝負していた」と見届け、試合後に宮本と握手するといつもより力強かったという。ロサンゼルス五輪へ向け「平良先生にメダルを掛けてあげたいのだろう」と息子の成長に頼もしさを感じた。

 「あと4年、目標に向かい走り続けます」。宮本は多くの応援に感謝し、今後の活躍を誓った。

 (古川峻)