1953年に、総合建設業「銭高組」幹部で写真愛好家の故・山本義樹さんが撮影したカラー写真には「ひめゆりの塔」に加え、同年12月20日に撮影された「魂魄(こんぱく)の塔」前の売店の写真も残っていた。撮影に使用したカラーフィルムは、米コダック社が開発し、撮影から年月が経過しても色あせにくい特徴がある「コダクローム」という製品。約68年が経過した今でも、色鮮やかな風景がよみがえる。
コダクロームは撮影当時、日本や沖縄の一般市場では流通しておらず、入手が難しいフィルムで、現像も日本では難しかったという。スライドフィルムから画像化した元写真記者で、印刷会社「池宮商会」顧問・代表取締役の池宮城晃さん(72)=那覇市=は「山本さんは沖縄の米軍基地内で購入したのだろう。撮影後、フィルムは米サンフランシスコかハワイの現像所へ送ったのではないか。色あせにくいため、鮮やかな写真となっている」と指摘した。
「ひめゆりの塔」で同じ日に撮影されたとみられる2枚のうち、1枚は79年3月発行の「アメリカ世の10年 沖縄戦後写真史」(月刊沖縄社)に「1953年10月19日」の日付で掲載された。月刊沖縄社から池宮城さんが83年ごろ、出版物の版権を購入しスライドフィルムも譲り受けたという。
「ひめゆりの塔」の写真について、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「この時期の写真は少ないので貴重だと思う。しかもカラー写真は珍しい。戦後間もない頃からひめゆりの塔が観光地になっていたというのは、知っていたが、実際にこのような形で人々が来ていたことが分かる写真だ」と指摘した。
「魂魄の塔」近くの売店の写真について、普天間館長は「コーラやジュースを売る当時の写真は初めて見た。米兵相手に商売をしていたことは聞いていたが、かやぶきの簡易な小屋を建てて売店にしていたことが分かる」と語った。
(古堅一樹)
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