「戦後75年」の記事一覧
161・8高地陣地(中城)聖地から激戦地に 8割120人が戦死<記者が歩く戦場の爪痕>
2020/06/17
#戦後75年
戦闘指揮所内で中城湾方向を指さす中城村教育委員会の喜納大作さん(奥)=10日、中城村北上原 切り立った頂上からは東海岸の中城湾や南部の知念半島、西側は慶良間諸 ...
クマヤーガマ(北谷) 数百人避難「砂辺の守り神」 暗闇を抜け広がる空に安堵<記者が歩く戦場の爪痕>
2020/06/16
#戦後75年
米軍上陸地の砂辺にあるクマヤーガマを案内する砂辺郷友会の照屋正治さん=8日、北谷町砂辺 特攻艇秘匿壕に続き訪れたのが、北谷町砂辺の「クマヤーガマ」だ。 那覇 ...
特攻艇秘匿壕(北谷) 爆雷抱え片道切符、兵士の思いは…<記者が歩く戦場の爪痕>
2020/06/16
#戦後75年
特攻艇の秘匿壕を懐中電灯で照らす北谷町総務部の平和行政を担当する大城美和子さん=8日、北谷町の米軍キャンプ瑞慶覧 目の前に広がる森の中に壕(ごう)があるとは一 ...
「慰霊の日」まで3カ月かけ、24万1566人の名前を一人ずつ読み上げ 戦後75年に合わせ追悼礼拝
2020/03/23
#戦後75年
追悼礼拝で演奏されるパイプオルガンを背に参加を呼び掛けるアイリーン・タナベ司祭(中央)と角田千代美さん(左)、チャーチ弘美さん(右)=20日、北谷町吉原の北谷諸 ...
戦時下の海で700人以上の沖縄県民が犠牲になっていた アラスカ半島からインド洋まで 本紙調査で判明
2019/12/31
#戦争
多くの県出身船員の犠牲者を出した戦時徴用船「開城丸」(戦時遭難船舶遺族会「海鳴りの底から」から接写) アジア太平洋戦争時に、日本軍が民間船を徴用した「戦時徴用 ...
最年少は14歳の少年も… 海の戦の解明遅れ 船舶記録研究が今後の課題 「戦時徴用船」700人超犠牲
2019/12/31
#戦争
日本軍の方針によって船ごと徴用され、戦地に動員された700人以上の県出身船員らの最期が「戦没船員名簿」によって、わずかに明らかとなった。犠牲者が出た場所は太平 ...
【識者談話】「戦時徴用船」700人超犠牲 雇用、待遇 不明点多く 吉川由紀氏(沖国大非常勤講師)
2019/12/31
#戦争
吉川由紀氏 1944年当時の沖縄の人口比率は全国の0・8%だったのに対し、亡くなった沖縄の船員数730人は、全国の犠牲者数の1・2%を占めている。人口比に対し ...
「10・10空襲」きょう75年
2019/10/10
#10・10空襲
1944年10月10日の「10・10空襲」から10日で75年を迎えた。延べ1396機の米軍機が投入され、沖縄本島や周辺離島、先島、奄美など南西諸島全域に爆弾の ...
いま注目のニュース
一覧へ