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Kiroro20周年、コロナ禍を経て…玉城千春が見つけた“答え” 迷ったら「いま、ここ、わたし」――「あの人の声」インタビュー


Kiroro20周年、コロナ禍を経て…玉城千春が見つけた“答え” 迷ったら「いま、ここ、わたし」――「あの人の声」インタビュー 新曲「あの人の声」に込めた思いを語る玉城千春さん=2月21日、那覇市の琉球新報社(大城直也撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「Kiroro」としてデビューして以来、数々の名曲を世に送り出してきた玉城千春さん。近年は沖縄県内の学校や児童養護施設を訪ね、特別授業を行っている。今年1月には児童養護施設の子どもたちや職員の言葉を歌詞にした「あの人の声」をリリース。単独インタビューでは、制作過程での葛藤をはじめ、ヒット曲を連発した“最盛期”や子育てを経て見つけた大切なこと、コロナ禍で芽生えた変化などを語った。(聞き手=大城周子、田中芳)

マレーシアでの“転機”


玉城さんは読谷高校で同級生だった金城綾乃さんと1998年に「Kiroro」としてデビュー。2人の紡ぐ温かな詩とメロディーは多くの人に愛されてきた。2018年に20周年の記念ツアーを終えて一息ついた翌年、玉城さんは“ママ友”の縁でつながったマレーシアの児童養護施設を訪れた。そこでの体験が転機になったという。

「子どもたちと一緒にマレーシアへ行き、養護施設の子たちと交流会をしたんです。その9カ月後には同じ施設で開かれたチャリティーコンサートに関わって、現地の男の子と日本語で『生きてこそ』をデュエットしたり、家族でステージに立って歌ったり踊ったり演奏したりして、大盛り上がりだったんです。でもふと、自分の生まれ育った沖縄の子どもたちはどうしているんだろうって気になって…。マレーシアの施設とつないでくれた友人が社会福祉士だったので、沖縄に帰ってきてから彼女と一緒に県内の児童養護施設や児童相談所で話を伺って現状を知っていったんです」

マレーシアの施設での経験などを振り返る玉城千春さん(大城直也撮影)

2020~21年には読谷中学校の生徒たちと「命の樹」を、そして沖縄アミークスインターナショナル中学校の生徒たちと「Hope Dream Future」を制作。新型コロナウイルスの感染拡大で日常も学校生活も一変した子どもたちを元気づけたいと、弾けなかったピアノを猛練習し、県内の学校を回る活動も始めた。知人が勤めていた南城市の児童養護施設「島添の丘」を訪れた際には、マレーシアの施設とオンラインでつないで交流も行った。今年1月にリリースした「あの人の声」は、21年に島添の丘を巣立つ高校3年生8人の「壮行会」のために作った曲だ。

「本当は『命の樹』『Hope Dream Future』、そして『あの人の声』というこの3曲を同じ流れの中でレコーディングしたかったんですが、2番の歌詞がしっくりいってなくて、考えている間に時間がかかってしまいました。1番は子どもたちの言葉をまとめて歌詞にして、2番は職員の方々や家族、関係者の皆さんがこう思っているだろうなということを想像して書いたんです。私からのはなむけということで。その時は気持ちを込めて歌ったんですが、自分の中でふに落ちない歌詞があって」

「太陽が昇って沈んでく 時計の針はみんな同じだから…という感じの歌詞だったんです。でも、1日に与えられているのは同じ24時間かもしれないけど、人の命って一緒じゃないって思った時に、簡単にそんなこと言えないって気づいて。与えられた時間は同じだから、どう過ごすかはあなた次第だよって無責任に突き放しているようでふに落ちなかった。それを私の言葉でさらに書き換えることにもためらいがあったんです」

島添の丘の外観をモチーフにした「あの人の声」のジャケット

葛藤や愛情、受け止めて


その後、地元テレビ局のチャリティーソングに起用されることになり、玉城さんは改めて島添の丘の職員たちと向き合ったという。

「 現場の声を聞くと、いろんな葛藤の中で子どもたちと向き合っていました。子育てに正解はなくてそれぞれ違います。彼ら(職員たち)は、さまざまな事情を抱えながら集まってきた子たちを見守っている。子どもたちとぶつかりながら、共に成長している。途中で逃げ出す子もいれば、激しく反発してしまう子もいたり、卒業して音信不通になる子もいたり…。体力的にも精神的にも本当に大変な仕事なんだというのを実感しました。泣きながら歌詞を考えることに向き合う職員もいました。それで2番に<本気でぶつかり合って 一緒に悩んだあなたを今も これからも信じている>という歌詞を入れたんです」

「卒園後はぶつかることもできず、頼ってきてくれないこともある。そういう寂しさも、職員から感じました。『生まれてきてありがとう。私たちと向き合ってきたよね。卒園しても自分を信じて、自分のことを愛してあげてね。私たちもあなたの力を信じるよ』って、そんな気持ちを言葉にしたいと思いました。子どもたちにとってお守りのような曲になってもらいたいです」

島添の丘での職員たちとのエピソードを語る玉城千春さん(大城直也撮影)

「あの人の声」には子どもたちの悩みや心の揺れをストレートに表現した重い言葉も並ぶが、優しい音色がそれを包み込む。他人の言葉を受け取って曲に昇華することの難しさやプレッシャーを、玉城さんは前向きにとらえている。

「誰かの思いや言葉を歌詞にすることで、その人の持っている言葉の力を引き出し、自分では表現できないことや知らない世界を見せてもらっています。例えば『あの人の声』に出てくる<今なら言える 生まれてきて良かった>という言葉もそうです。彼らからその言葉が出てきたことを大切に表現したくてそのまま歌詞にしました」

「もともと最後の<あいたい時には帰っておいでね あの人の声>の部分は、<あいたい時には帰っておいでね 島添の丘>だったんですよ。タイトルもずっと『島添の丘』だったんですけど、島添の丘みたいな場所、心のよりどころは、 いろんな人の中にあるんじゃないかなって思って。何かあった時に誰かの言葉を思い出したり、声を思い出したり…。そういう誰にでも共通する何かをと思い『あの人の声』にしました」

忘れたくない「あの人の声」


玉城さんにとっても特別な「あの人の声」はあるのか。そう尋ねると意外な答えが返ってきた。

「私にとっての『あの人の声』は、15歳の時の自分の声です。中学3年生の時に初めて作った曲が『未来へ』なんですけど、あの時の私の声は今も自分でもすごいなって思います。母が咳をしたときに痰(たん)に血が混ざっているのを見て『お母さんが死んじゃう』って思い込んで、お母さんへの最後のプレゼントにと作った曲なんです。ただの風邪だったんですけど(笑)。 あの時の私の言葉や声、そして歌で表現したいという思い、誰かにプレゼントしたいという思いはずっと大切にしたいです。あの時の私がいたから今もあるし、自分の原点なので、あの声があればきっとまた歌を作っていけるんだろうなって思います」

20周年記念ツアーの最終公演で歌うKiroroの玉城千春さん(右)と金城綾乃さん=2018年6月10日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター劇場棟

Kiroroとしてヒット曲を連発していた激動の時代も、今につながっているという。

「 いつまでに仕上げないといけないとか、どういう曲を作ってもらいたいとか、『やらなきゃいけないこと』が(人気が)大きくなればなるほど増えていったので、 葛藤はありました。でも東京での経験があるからこそ、子育ても曲作りも自分のペースでできている今があります。表現する責任があるし、皆さんの期待や曲作りを始めた15歳の自分のことも忘れないようにと心がけています」

「15歳で『未来へ』、高1は『すてきだね』、高2は『僕らはヒーロー』というように、1年に1曲ずつ誰かにプレゼントするという形で曲作りを始めました。その頃のように“1曲入魂”じゃないですけど、またそういうふうに曲作りができるのかという不安がありました。でもやってみたくて、コロナ禍の前から自分で軸を定めたんです。だから、子どもたちと『命の樹』『Hope Dream Future』『あの人の声』という3曲を作ったことで、原点に戻る曲ができてほっとしています」

今後についても語った玉城千春さん(大城直也撮影)

18歳、16歳、14歳の3人の母でもある玉城さん。沖縄で子育てをしながらアーティスト活動を続けてきたことを振り返り「バランスは取れてなかったですね」と笑う。その中でも大切にしている言葉があるという。

「私自身は迷いが多くて、人の意見に左右されたり、人がどう感じているかを考えすぎて行動してきた部分があるんです。迷った時には友人から教えてもらった『いま、ここ、わたし』という言葉を思い出すようにしています。コロナ禍で考える時間が増えたことも、自分を見つめ直すきっかけになりました。『やってあげたい』じゃなくて『やりたいからやる』。そうすれば『忙しい』も『充実している』に変わる。そういうふうに生きていきたい。今、私は何がしたい? 今、私は何が好き? 今、私はどう思っている? と常に意識するようになりました」

Kiroroは結成20年を経て、活動はいったん休止している。今後のステージを玉城さんはどう描いているのか。

「歌手としてどうしていきたいかというより、生きていく中に歌があるという感じなので。作りたいと思ったときに動ける、届けられるような、身も心も軽くありたいですね。いま46歳で人生80年としたらあと半分で、さあ私はあと半分どう生きたいかって考えたら、歌は楽しんで歌いたいし、未来のことを考えていたら今をおろそかにしちゃう。『いま、ここ、わたし』を自分に問いながら、心に任せます。年を重ねても可能性は無限大。皆さん、一緒に今を楽しみ尽くしましょう」