【インタビュー詳報】「沖縄に外資進出」止めた理由は…細田元官房長官に聞く


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 沖縄は来年で日本復帰50年を迎える。新たな沖縄振興の在り方を検討するため、政権与党・自民党の沖縄振興調査会(小渕優子会長)は外部の意見聴取を踏まえ、党内で提言の取りまとめを進める。1972年の復帰以降、5次にわたる沖縄振興計画でインフラ整備や格差是正などが進められた。これからの10年に向け、次期沖縄振興計画や新たな沖縄振興はどうあるべきか。元沖縄担当相で、沖縄科学技術大学院大学(OIST)を支援する「OISTの未来を考える議員連盟」の会長を務める、細田博之元官房長官に展望を聞いた。(聞き手・安里洋輔)

インタビューに応じる細田博之・元官房長官=2021年6月

 Q:これまで5次にわたった振興計画を振り返ってどうか。

 A:私は沖縄復帰の時に通商産業省にいた。沖縄振興開発金融公庫の設立にも関わった。復帰前は、中小企業金融公庫や国民生活金融公庫など多くの公庫があった。そういう既存の組織の支店ではなく、特別な法人を作って、沖縄の開発振興に特化した金融公庫を作ろうと提案した。沖縄との関わりはその時からだ。

 Q:復帰時に何があったのか

 A:いろいろな問題があった。外資の問題もその一つだ。

 Q:外資規制が議論になった。アルミ精錬大手の米アルコアの進出話も当時あった。

 A:そうだ。石油資本も進出を企図していた。半導体大手の米テキサス・インスツルメンツ(TI)など、いろんな問題があった。

 Q:TIも沖縄に進出という話があったのか。

 A:子会社(の進出計画)があった。だが、沖縄の本土復帰では、そこは調整する必要があった。外資法に基づいて認可を必要とする、という事にした。当時、日本では出資100%の半導体企業、つまり集積回路、コンピューターの会社の投資には認可が必要で、日本政府としては認可しないという方針があった。先端産業が外資に支配されるという懸念があった。

 Q:これまでの沖縄振興の課題で「製造業が育たない」という問題がある。当時、外資の進出を促した場合、製造業が育ったのではないかという指摘もある。

 A:50年前、日本の製造業は強かった。当時、日本のコンピューター産業を守るという議論があった。その心臓部である、いわゆる半導体、集積回路の関連産業を守るという議論だ。ただ、それは本質を突いた指摘とは言えない。当時から沖縄は観光振興をするべきだと考えていた。この50年間、ずっと議論され、(2000年7月の)沖縄サミット(主要国首脳会議)以降、10年ほど前から花開いてきた。国民が豊かになり、沖縄のリゾート観光が浸透した。観光立県が最も大きな課題となってきた中で、2018年度に入域観光客数が1千万人を超えた。私自身も大変喜んでいた中で、新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われた。50年かかった観光振興が頓挫し、『仕切り直し』という段階まできている。はなはだ悲しい状態だ。

 ◆コロナ対策、沖縄はハワイを見習って

 Q:新型コロナの県対応については振興調査会でも発言があった。

 A:沖縄の観光客は、もともと飛行機や船で来る人だけだ。きちんと空港、港、出発地でPCR検査をして、検査をした人、あるいはワクチン接種した人だけに、来てくださいという仕組みは作った方がいいと提案した。そうしないと、無症状の旅行者が感染を拡大させてしまう。

 Q:ただ、その政策は県の財政だけでは難しい。国の支援が遅かった面はないか。

 A:『お国の関係でなかなかできません』と言っている間に感染が広がった。沖縄県が先取りしてもよかった。そのために県が国から予算を取るというやり方もあった。

 Q:知事が主導して国と交渉するべきだったのか。

 A:それは昨年秋から、玉城デニー知事にも言っていた。だけど、『そんな事をして予算が取れるでしょうか』などと言って躊躇(ちゅうちょ)した。一方、ハワイでは全部検査をして、ワクチン接種、PCR検査者は自由に入れるようになった。だから、ハワイの観光客数はピーク時の9割ぐらいに戻っている。

 Q:予算面で国も躊躇する面あったのか。

 A:沖縄県向けの予算をつけなさいという事を要求したらいい。『お国でやらないことを沖縄県が要求するのははばかられる』という精神が疑問だ。そんな事を遠慮する必要はない。ある種の先導的な試みだからやったらいい。沖縄県はやはり観光で食べていかなくちゃいけない。そのために特別な事をさせてくださいって言った方がいい。酒税の問題や航空機燃料税の減免なども大事だ。ただ、それで急に県民所得が上がったり、雇用が増えたりはしない。今、必要な事は、観光客の回復だ。

 ◆50年前の危機感「米国資本にやられる」

 Q:沖縄の日本復帰時の話を。復帰当時は通産省にいた。

 A:当時は省内の企業局と言った。今の経済産業政策局。産業資金課という金融を担当する部署にいて、沖縄復帰に関連して、いろんな事をやっていた。

 Q:外資規制で言うと、アルミ米大手アルコアや石油会社の進出の計画もあった。

 A:ガルフという石油米メジャーの問題はあった。『100%子会社があるのは問題じゃないか』という議論があった。当時は石油資本に支配されるという危機感があった。

 Q:外資規制は国内産業の保護という目的があったからだ。

 A:当時、これからの成長産業はコンピューター産業と半導体産業だとわかっていた。だから、富士通、NEC、東芝、日立、そういった企業を育てないといけなかった。沖縄の本土復帰で、外資企業が入ってきて(市場が)席巻されては困る。国の資本が幼稚だから。それを育てるために、巨大な外資が入ってこないように、と。それは50年前の考え方だ。今の考え方は、もうグーグルやアマゾン、アップルなどいわゆる『GAFA』はやりたい放題だ。昔は『日本の産業資本を守らないと米国資本にやられる』という時代だった。今は外資にやられてしまっているが。

 ◆沖縄のメインは観光業 今後も製造業は厳しい

 Q:沖縄では製造業の誘致が長年の課題だ。

 A:本土復帰後、日本の産業は既に国内投資ではなく、海外投資に目が向いていた。そういう中では、沖縄県が有利なポジションにあった事はなかった。時代が飛んでしまった。製造業は本土でも厳しく、今後、沖縄県に製造業が来ても生き残れる環境ではない。やはり観光産業がメインになってくる。投資環境としては、やはり沖縄の特殊性を生かした観光への投資を長期でやった方がいい。コロナでずいぶん環境が変わったが、時代はどんどん変わっていく。どこかを捉えて議論してもしょうがない面がある。

 Q:ある意味で、優位なポジションに立っていたのは復帰時だけだったのか。

 A:日本自体が、製造業で生き残れる可能性があるのは、自動車産業や、ごく一部の特別な半導体や機械産業に限られている。日本全体が、サービス産業主体の観光立国になっている。

 Q:守ろうとした半導体事業が現在は苦しい状況。忸怩(じくじ)たる思いはないか。

 A:当時、沖縄は米国の施政権にあった。外資は、そこに投資し、100%子会社を設立しておいて、日本に復帰した時に、全国で工場を造るという発想だ。だから沖縄に立地しようとしたんじゃない。足がかりにしようとした。そういう意図が見え見えだった。悔やむような事を言ったって駄目で、目的が違った。彼らは、沖縄に投資しようとしたんじゃない。

 Q:地方創生は沖縄だけでなく全国的な課題だ。

 A:過疎化の解消は喫緊の課題だ。解決策の一つとして策定したのが、『特定地域づくり事業協同組合制度』だ。県内でも国頭村や伊江村など過疎市町村が複数ある。人口が減っている自治体で事業協同組合を作って、地域おこしのための若い人を雇う。そのための人件費の半分を国が補助する制度だ。失業対策にもなるし、若者が地域に根付く。北部や離島の振興に役立つはずだ。

 Q:沖縄県内での浸透度はどうか。

 A:残念ながら、法律の認知が行き渡っていない。沖縄県は制度申請がゼロだ。県に申請して県が認可すればいい。失業対策にもなり、沖縄の課題である『貧困問題』の解消にもつながる。そういう具体的な対策をやった方がいい。

 


 細田 博之氏(ほそだ・ひろゆき) 東大法学部卒業後の1967年に通商産業省に入省。産業政策局物価対策課長を務めた後に退官し、90年に衆院議員(島根全県区)に初当選した。2002年には沖縄担当相に就任。沖縄科学技術大学院大学(OIST)を支援する「OISTの未来を考える議員連盟」を務めるなど沖縄振興政策に長年関わってきた。

 

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