日本人を含む約3千人が犠牲となった2001年9月に米国で起きた米中枢同時テロは11日、発生から20年を迎えた。事件後、米軍基地が集中する沖縄は、本土からテロ警戒のための応援機動隊が派遣されるなど物々しい雰囲気に包まれた。「沖縄は危険地域」との風評被害にも見舞われ、修学旅行や団体旅行のキャンセルが相次ぎ、県経済に大きな打撃を与えた。
一方、米国は事件を受けてアフガニスタンに侵攻を開始。アルカイダの活動拠点を奪うため、米国とその同盟国がタリバンを政権から追い出し、新政権を樹立した。そのアフガニスタンのダラエ・ピーチにはかつて、「オキナワ・ピース・クリニック」という名称の診療所があった。政治の混乱などもあり、現在は使われていないという。
「オキナワ・ピース・クリニック」は、現地で医療や農業の支援に携わる非政府組織(NGO)「ペシャワール会」が、2002年の第1回沖縄平和賞の賞金で03年に建設したが、米軍駐留後の内政の混乱や治安悪化により、05年にアフガニスタン政府に委譲された。沖縄の名を冠した診療所の顛末(てんまつ)を振り返ると、同会関係者は悔しさを口にする。
沖縄平和賞は地上戦、米軍統治を経験した沖縄から、平和を希求する心を世界に発信するのが目的だった。政治、民族、宗教に関わらず、等しく医療支援や水源確保に尽力するペシャワール会は、第1回の受賞者にふさわしいと評価された。19年12月に現地で凶弾に倒れた故中村哲氏は、平和賞の授賞式では「沖縄は戦争の犠牲地だ。いろいろな賞をもらったが、今回が一番うれしい」と語った。
(稲福政俊)
→「平和」の診療所に込めた中村哲医師の思い 活動停止に「心の中で泣いた」に続く
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