「しおり」が「金城しおり」になった理由 首里城火災、ルーツ見つめ直すきっかけに


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首里城について思い出を語る金城しおりさん=23日、那覇市泉崎の琉球新報社(喜瀬守昭撮影)

 シンガー・ソングライターの金城しおりさん(34)は、2020年1月、活動名をそれまでの「しおり」から本名の「金城しおり」に変えた。首里城の火災をきっかけに、自分のルーツを見直したという。

 火災があった日は東京にいた。沖縄の友達のSNSは火災のニュースで騒然としていた。実家は首里城が見える距離。父親は首里城が焼け落ちる音を聞いていた。しかし、東京ではニュースの頻度が少なく、温度差も感じた。「何かしたいけど何もできない。板挟みだった」という。直後のコロナ禍でエンタメ業界は大打撃を受け、自分の生活に対する不安もあった。「気持ちだけが空回りしていた」

 そんな中、首里城復興支援「SYURI NO UTAプロジェクト」に参加。「音楽で寄り添うことができると感じた」という。

 拠点も東京から沖縄に移した。首里城が景色から消え、琉球王朝祭り首里(旧首里文化祭)もまだ開催できないが、記憶にある「鮮やかな首里城と首里のまち」が戻ることを信じる。「沖縄は一つの目標に向かって手を取り合える。県民の強さを見せていきたい」。笑顔を輝かせ、歩き出していた。


 

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