【ちむどんどん第36話】沖縄発芸能人の先駆けは… 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】


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那覇市のデパートで開かれた南沙織(左)のサイン会=1971年12月4日

 ちむどんどん第36話は、暢子(黒島結菜)が銀座のレストランで働き始めてから1年半が過ぎた、1973年10月から始まりました。前菜を任された暢子でしたが事態は急展開し、房子(原田美枝子)の命令で、新聞社で雑用をすることになります。一方、沖縄では歌子(上白石萌歌)が、レコード会社の新人オーディションのチラシを手に出場を決意します。

 1972年2月、琉球新報、沖縄テレビ、ラジオ沖縄が、都はるみを輩出した「日本コロムビア」と共同で「新人歌手オーディション」を開催するなど、復帰前後は本土のレコード会社が沖縄に注目していた時期でもありました。沖縄発芸能人が注目を集めるきっかけを作ったのは、復帰前の1971年にデビューした南沙織さんでした。

 南さんは1954年に嘉手納町で生まれ、4歳から宜野湾市で育ちました。71年に「17才」で歌手デビューし、同年に小柳ルミ子と、同年レコード大賞新人賞を受賞しました。エキゾチックな雰囲気で、人々を魅了しました。75年「人恋しくて」でレコード大賞歌唱賞を受賞するなど活躍をしていましたが、24歳で芸能界を引退しました。79年6月に写真家の篠山紀信さんと結婚しています。


>>【まとめ】ちむどんどんキーワード集

▼ちむどんどんってどんな意味?

▼復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった?

▼意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って?

▼「とうしんどーい!」って何? 沖縄県民には結婚式や旧盆でおなじみの曲

▼「まーさん」と言えば…ピンクと黄色のあのマーク?