太平洋戦争中の1944年8月22日午後10時12分頃、学童疎開で九州に向かう沖縄の子どもらを乗せた対馬丸が米軍の攻撃を受けて沈没した。撃沈から78年となる22日、対馬丸記念館を運営する対馬丸記念会は、那覇市若狭の旭ケ丘公園にある対馬丸戦没者の慰霊碑、小桜の塔で慰霊祭を開いた。昨年に続き、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小し、同館職員ら15人がしめやかに法要を執り行った。慰霊祭終了後に足を運ぶ遺族もいた。
対馬丸の犠牲者で氏名が判明しているのは学童784人、一般疎開625人など計1484人。
同記念会代表理事で対馬丸の生存者である高良政勝さん(82)が追悼の言葉を述べた。現在も続くロシアとウクライナの戦闘に触れ、「罪のない多くの一般住民や子どもの命が危機にさらされている。人間は言葉という文化を持っている。武器で戦うのではなく、言葉を交わすことで物事を解決する道を探ってほしい。そう対馬丸の子どもたちは願っているでしょう」と武力によらない早期解決を求めた。
同館によると、例年は約400人が参加していたが、2020年からは新型コロナの感染拡大を防ぐため、遺族や来賓には参加自粛を求めている。
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